2013年 9月の記事一覧

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13年09月29日 07時22分39秒
Posted by: kawasaki
 なんとなく、「司法書士ブログドットコム」の管理ホームにて、ごそごそやっていましたら、タグの使い方がわかりました。なーんだそうなんだ。池上さんの番組のように解りました。と言う事で、今私のこのブログを読んでいらっしゃるとお思いますが、右側にタグと書いてある枠の中に、町内会、奇跡(不思議体験など)、豊橋支局、オンライン、女等々が書いてあるのが見えます。その一つ一つをクリックすると一覧表が出てきます。町内会をクリックすると、今まで書いてきた町内会の出来事が一目で解ります。私のようにシリーズものが好きなと言うか、シリーズものが多い先生にはこれは非常に便利なグッズだと思います。不動産詐欺事件など、ある程度の件数を入れないと後ろに廻されますので、「昔の事件」2件と「詐欺的分筆行為」も入れさせて頂き6件にしてタグを作りました。豊橋支局は登記や、支部の話、などが入っています。オンラインでは、勿論オンライン減税等のことや、「今だから話せるオンライン申請」が、入っています。短く、「女」と書きましたが、「わからずやの女たち」シリーズが入っています。長文だとタグ欄に多く入れませんんで、短く一文字で女と入れました。この司法書士ブログのホームページの欄にもタグコーナーがあり、そこからでも一覧表がありますので、「町内会」をクリックして開けば、直接入れる事もできます。しかし、いくら司法書士ブログは自由だからと言って、なんでもタグに入れておけば目立つやり方は感心出来ませんので、タグに題名と関係ない題材を入れるような、一見広告になるような事は私はやりたくはありません。「女」などは4件しか入ってないので、ホームページのタグ欄を見てもないですね。せいぜい6件はないと、入れてもらえないかもしれません。ゆくゆくは入れておきたいですね。
 よかったらクリック下さい。

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13年09月26日 12時06分11秒
Posted by: kawasaki
 私がコロナクーペに乗っていた頃の話です。その車の何回目かの車検が近ずいてきた頃、エンジンの調子がおかしくなって、運転するのには危ない状態になりました。すぐ車検でしたので、いつものところから車検の申し込みの電話が掛かってきました。これ幸いと車を持っていきました。しかし車検が終ってもエンジンは直っていなかったですね。私はコンピューターが悪いと思っていましたので、新車で買った販売店(ディラー)へ行きました。販売店も分からないということで乗れなくなってしまいました。この時私も失敗したのは、今回だけは、最初から販売店で、車検を受ければよかったと思いました。エンジン不調又は、オイル漏れなどは、販売店で最初から車検を受けた方がいいと思います。 一般の民間車検屋さんでは無理かもしれませんからね。たぶん。
 結局車検屋さんの代車を一ヶ月乗りました。その間販売店で色々聞きましたが、一向に分からないと言うことでした。今でもあの時の販売店の男の顔が思い浮かびます。その時代は、トヨタの販売店は、日産がぼろ負けで、もうおれがおれが一番の車だぞという有頂天の時代でしたから、私のような安い新車の買い手など相手にしなくても、仕事が一杯あって忙しかったんじゃないでしょうかね。でも、さすがに一ヶ月となると私も色々な事を考えるようになりました。日本刀を背中に背負って何もやらない販売店へ切り込みに行くとか、1億円の保険でも入って自損事故でも起こして大もうけするとか、ありとあらゆる事を考えましたが、結局泣き寝入りすることにしました。しかし、販売店も一ヶ月何もしないなんて、今考えるとギネスブックに乗るんじゃないかな、本当に、そう思いませんか?そして最後の最後、私にできる事は、「お客様相談コーナー」に行くしかありませんでした。

 「もしもし、お客様相談コーナーさんですか?私は渥美の司法書士で川崎と申します。お宅で新車で買ったコロナクーペが車検を受けて1ヶ月にもなりますが、エンジン不調で怖くて乗れません。私はコンピューターが悪いと思っていますが、こんな事が、お宅の車で、過去なかったですかね?。交差点でエンジン不調になれば衝突の危険もあり、トヨタ従業員の方に迷惑をかけることにもなりますので絶対乗らない方が良いと思い乗れません。」
 「当会社の車を買っていただきありがとうございます。川崎さん1ヶ月も乗れないんですか?それでは今日の夕方販売店にその車を持って行ってください」とにこりともしないクールな電話対応でした。


 夕方、販売店へ行くと違う販売店から来た方が、ニコニコしながら、「川崎さんは販売店で新車を買ってくださったんですね。」と言いながら車に乗り込み早速整備を始めました。そこで初めて私も車を治してくれるんだと思いました。1時間ぐらいで車は治りました。3万円ぐらい取られました。少しは安かったかも知れませんね。私も車が治ってとてもうれしかったです。この車はその後は故障もへこみもなく、26万キロ近く走りましたからね。その後はどこも悪くは無かったですが、足回りがへたってると言われて最後は廃車にしました。

 早速、しばらくぶりの愛車を乗り回し、楽しみました。それから2、3日ぐらい経った頃だと思います。何気なく藤城自転車店へ行きましたところ、自転車屋のおやじに言われました。「なんだ、お客様相談センターに電話したのか?」とね、私もなんで知ってるのと思いました。びっくりですよ。自転車屋が自動車屋の情報を確実に把握してるなんて信じられません。ロシアへ亡命したスノーデン氏のアメリカの盗聴事件より早く的確で、確実な情報ですからね。本当に驚きました。ところが車検を受けた、モータースの経営者もそれを知っており、またまたびっくりです。よほど販売店はストレスが、溜まったんじゃないかと思いましたね。
 真実の内容はこうだったと思います。お客さま相談コーナーに電話した時、私はこの車に乗って事故でも起こせばトヨタ従業員に迷惑をかけるといけないから絶対乗りませんと、はっきり言っていましたので、それを聞いた相談室長が、なんとはっきりと主張した、立派な考えの方だろうと思ったに違いありません。それに比べて販売店の一歩間違えれば大事故が起こるかもしれない、この体たらくなだらしなさに怒りを覚えたのだと思います。当然本社に呼び出されました。販売店長、私に車を売った担当セールスマン、他1名の3名が本社へ行くことになったそうです。そこで多分、ぼこぼこにされてストレス一杯背負って、帰って来たと思いますよ。当たり前ですけどね。

 とは言っても、私も本来頑丈なトヨタ車が好きだし、今でもオイル交換もその販売店でやってるし、私も行けば、知らん顔しながら笑顔をたやさないし、販売店のじゅうたんを踏んで、オイル交換の待ち時間にはお茶を飲んでもいます。

 にほんブログ村に入村してからは、作風が少し変わりましたかね。何と言ってもこれからは、地元の人が見ますからね。少しは冗談書きが入ります。


 ブログ村にはINとOUTがありまして、下のボッチを押すとINとなり、にほんブログ村のページに入ります。するとランクずけのポイントに1点入ります。今15点でランク6位です。田原市では全部で16組がランキング付けに加入しています。あと5点とると5位になります。司法書士ですからね、せめて4位くらいには入りたいですけどね。

 ちなみに1位280点、2位240点、3位140点、4位50点、5位20点

 1ボタンお願いします。




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13年09月24日 12時10分40秒
Posted by: kawasaki
 やはり、司法書士ブログだけでは、地元の人には広告にはなりませんからね。少しでも多くの方に当事務所の誤解されたばかばかしい話を払拭したいですから、にほんブログ村に登録させていただきました。アップまでに2,3時間かかりました。パソコンの先生がいないものですから、仕方がありません。今でもあまりよくわかりませんが、何とか少しは初心者でも打ち込める事が出来ました。しかし、勿論、まだまだ分かりません。これをアップする事によって新着記事として1番先頭に掲載されます。まずは地元の人に、ごあいさつがてらに知って頂きます。皆さんよろしくお願いします。書きためたブログを見て頂き当事務所の生きざまを知って頂ければ、この上なき喜びです。又お越しの際は、覚えたてのランキングバナーに1プチをお願いします。
         
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13年09月21日 10時17分18秒
Posted by: kawasaki
 藤城自転車店に来るトヨタ田原工場の若い従業員の方が私に言いました。仕事が大変で、そのためストレス発散のために、パチンコ屋へ従業員の方々が、こぞって行くそうです。しかし、パチンコで儲けるとぼろくそに言われ、負けると和気あいあいになるそうです。そして、相当お金を使うそうです。そのため社内ではこんな話がまことしやかに流れているそうです。つまりパチンコで損した金は、北朝鮮に流れていき、ミサイル代になっているのだと言うのです。北朝鮮が、ミサイルを打ち上げると、トヨタのパチンコ好きな社員の方は、自分たちの金で飛ばしてるのだと、思っているそうです。トヨタのような、日本を代表する大会社が北朝鮮のミサイル製造資金に貢献していてはいけませんよね。そこで社長さん、工場内に少しだけ良く出るパチンコ店を自前で作り、従業員の方には工場で気持ちよく働いてもらい、給料を払い、自前のパチンコ店で、給料の回収を計ります。正に、一石二鳥で会社が無駄なく利益を生む、大循環給料回収システム構想の経営方法の採用をお勧めします。これでもう、大事なお金が、北朝鮮に流れる事も無く、北朝鮮のミサイルの恐怖もなくなり、北朝鮮も崩壊間違いなしです。拉致被害者のめぐみちゃんも返され、朝鮮半島に平和が訪れて、皆が仲良く暮らせると思います。社長さんこのアイデアをぜひ御採用下さい。


 これは司法書士の考える事ではないかもしれませんね。半分は本気で、半分はちょっとふざけて、少し、品がない話になったかもしれません。でも、たまにはこのようなブログもいいかと思い書いてみました。工場内にパチンコ店を作るのは私の発想ですが、それ以前の話は間違いなくトヨタのまだ若い独身従業員さんから直接聞いたまじめな話です。


 私は拉致被害者のめぐみちゃんは必ず生きていると信じています。北朝鮮よ、日本から援助を貰いたければ早く拉致被害者の全員を返せ。お前たちが生き残れるのは、近隣諸国と仲良くするしかない。いいか北朝鮮、日本人は拉致被害者を絶対に忘れない。「目覚めよ、北朝鮮」


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13年09月20日 17時26分11秒
Posted by: kawasaki
 先ほど2時半頃ですが、車庫から車を出そうとしたら、豊橋方面行きのバスが見え、その前をかなりの年配の方が斜めに横断するのが見え、バスに向かって手を挙げたので、このバスに乗るんだなと思い、私の車が邪魔と思い、もう一度車庫に入りました。しかし、バスだけが通過し、年配者の方がなかなか私の車の後ろを通過しないので、ゆっくり車庫から出た処、バスが止まらずに通過したので年配者の方がキョロキョロ見渡していました。私も車で近ずき、「バスに乗れなかったんですか?今からバスを追いかけるから早く乗ってください」と、言って年配者を車に乗せました。しかしバスは早いね、行けども行けども見えないですよ。高木の信号を通過した処で道路工事中になっており、やっと片道通行のため停まっているバスを見つけました。その距離200メートルです。バスの間に10台ぐらいの車がありましたが、石神の信号で止まりましたので、これ幸いと前の車を右折用の車線からごぼう抜きに追い抜き、2車線になっている交差点のバスの横に止めました。信号が青になりましたので、バスの前にすばやく出て、ゆっくりとすぐそばの石神のバス停に入りました。早速下りてバスに向かって両手だして、まったをしたところ運転手もわかったようで、バス停にバスを入れてくれました。私が走った距離は3・21キロです。バスを追いかける途中で、どこまで行くのですか?と聞いたら、20キロ先の渥美病院だそうです。もちろんそこまで乗せてはいけませんので、なにがなんでもバスに追いついて、乗せることが出来良かったです。ホントにこんないい人が渥美町にはいるんですよ。目を覚ませ、渥美人(びと)

 ブログランキング始めました。
田原市だけのランキングです。
よろしくお願いします。

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13年09月16日 07時51分02秒
Posted by: kawasaki
 その社長さんは第6代社長の豊田章一郎さんです。私が上だと思ったのは、それはバブルの時でした。社長さんはバブルの大天井に差し掛かった時、自動車増産の必要性を感じ、新しい自動車工場を作る決意をしました。うーん、これは甘いですね。あの当時は株価がどんどん値上がりし、誰が買っても儲かるような状態でした。しかし、大天井が,近ずいていたのは間違いありませんでした。私ならここで工場などは絶対作らないと思いましたね。私ならここは絶対にフル生産で乗り切るのがベストだと思いました。夜も昼もトヨタの従業員に働いてもらうのです。3,4ヶ月か半年もすれば結論が出ると思いました。景気を見るには株価がだいじです。あの高いところで株を買うのは結構博打を打つようなものです。あのようなところで、大博打などは打てません。株の売買を経験している人なら大金を掛けることなどできませんね。この社長さんは株の売買などしたことはないと思います。どんな事も経験ですから、小銭でいいですから、売買の経験は必要だと思います。私がそばにいたら絶対止めろと言いますね。ここで工場をつくるのは、やっぱり大博打でしょう。しかし、こんな大会社の社長さんは株の売買などのせこい勝負などはやはりやらないかもしれませんね。仕事がいっぱいあるんだからそんな暇は無いと思います。しかし、まわりのブレーンの人は、なぜ、止めろと言わなかったのかが問題ですね。私がいたら、色々説明をして、だから止めましょうと言います。私を社外取締役?で雇っていれば、大失敗せずにすんだと思います。現社長の豊田章男氏は少し前に言っていましたね。いくら会社がバブルの時と同じような自動車の生産台数に近ずいてきても浮かれることなく冷静に事を進める。と、言っていました。この社長さんはあのバブルの時の工場を作った事を知っているんですよ。やはりここは、全ての工場をフル生産体制で乗り切る事がベストだと、思っているんです。過ちは二度としないと言うことですかね。現社長を調べたら豊田章一郎氏の長男でした。父の失敗を見ていますから、慎重になっていますね。と言っても、今はバブルの時とは、だいぶ景気が違いますからね。バブルの時、大工場を作らずに、お金を貯金していたら、トヨタの株も1万円ぐらいしていたかも知れません。実を言いますと、いとこがトヨタの親戚のところへお嫁に行きまして、少し情報が流れてきました。私の岡崎のおばさん(私の母の妹)が私に言いました。「バブルの時、工場を作らなかったら、今頃はトヨタは左うちわだった」とね。やっぱりそうだったんだ。私があの時トヨタの社長なら絶対工場は作りません。
 


 千昌夫氏がバブルの時、香港だったと思うが、買ったビルが1000億円になったと新聞に書いてあった。千昌夫氏がのん気にしていたのを見て私は売りそこなって失敗すると思いました。そしてそのとおりになりました。私が千昌夫氏の友人で、近くにいたら絶対すぐ売れと言います。たぶん過去において、千昌夫氏は株の売買など一度もやっていなかったと思います。大博打が怖い事を知らなかったのです。運よく持っていた土地が、新幹線用に用地を取られて売って儲けたのは単なる偶然、のんびり構えていても売れたのは、ラッキーだっただけですよ。しかし、ラッキーなことは何度もあるわけはなく、最後は失敗して終わりです。皆さんも欲はほどほどにして、気をつけて下さい。

このブログは16日朝7時51分投稿しました。
このブログ前のNo117のブログは16日午前2時51分に投稿しています。

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13年09月16日 02時51分04秒
Posted by: kawasaki
 田原市のお祭りは9月14日(土曜)15日(日曜)の2日間です。勿論私の鎌田町内会のお祭りも同時開催です。土曜日は朝から役員や係りの方々が出て既に準備が進められています。私は評議委員では有りませんので、強制的な勤務要請はないのですが、一応町内会から、封筒に入れた秋祭り実行委員会資料が郵便受けに1週間前に届いており、14日夜の山車の組み立て仕事への勤務要請や15日本番の町内練り歩きの交通指導係りに名が載っております。しかし、14日は10時より司法書士会豊橋支部のソフトボール練習があり、豊橋へ出向き練習をしてきました。練習後、帰って自宅で休んでいたところ、淳子さんが年配者の食事会開催についての案内書をもって来てくれました。その時,「今日の夜の焼き鳥用の串刺しは用事で出られないけれど、明日は交通係で出ます」と言ったところ、「明日は台風で雨だよ」と言いましたので、「大丈夫、私は強力な晴れ男だから、お祭り中雨は降らないよ」と言い返しました。「それじゃその言葉を覚えておく」と言って帰られました。15日朝、7時頃まで小雨が降っていましたが、その後は止み、8時に私も支度をして出ました。山車のところで私が晴れ男の話をしましたら、まだ30ぐらいの若い奥さんが「私は雨女」と言い出しましたので、どちらが勝つか、一騎打ちだと思いました。結局雨は降らずに私が勝ちました。恐るべし脅威の晴れ男、川崎恭也の面目躍如です。3時半に餅投げがあり、その後反省会があり全て雨なく終了しました。しかし15日夜の花火大会は大事をとって延期されたみたいです。ちなみに、21日に、お祭りの慰労会があります。


 膝までの短パンをはいて出ましたら、足が日焼けしていました。1日中曇り空かと思ったら結構、日がさしていたのですね。


 今、このブログを書いていますが外は台風18号の影響で風や雨の音が聞こえます。

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13年09月12日 06時48分51秒
Posted by: kawasaki
 この女性は、いつもは他人に金を出させては儲けさせてもらっていましたが、ついに本人が多額の金を出して、大博打をするはめになりました。この人には本人にぴったりな本業がありました。私もこの女性がする、その仕事は、まさに生れつきの才能だと思っていました。でも、その職業の全ての人たちの多くが個人営業者の自営業であり、その自営業たる本業が安定していなかったと思っていたのでしょう。そのために、この女性はある副業を考えました。簡単に机の上で計算し、これは儲かると思いました。計算は簡単でした。1日何人の宿泊客がいれば、いくら儲かると言う計算です。それなりの宿泊施設を建て、手伝ってくれる弟夫婦の1軒家の居宅を建て、近くに勤めている料理人に来てもらい料理を作って出せば、それで儲かる計算になっていました。こんな簡単な計算で儲かると思いますか?。私はとにかく大反対をしました。これは大博打を打つんだぞ、これをやったら2度と元に戻れないんだぞ、と口をすっぱくなるほど言ったものでした。ある時、渥美病院へこの女性が結石で、入院した時もわざわざ行って、説得しました。この女性は私の話しなど聞こうともしなかったですね。いつも、えへら、おほらと、にやにや笑っていました。この女性は今から始める宿泊客相手の仕事に対して事の重大性を全く認識していなかったのです。渥美の金融機関もお金を貸す予定になっており、年の割には思慮の浅い、ええころ八兵衛爺さんが、やれば儲かるなどと言って保証人になっており、準備は着々と進んでいました。そして、昭和54年の10月に建物が完成し、事業を始めました。初めてすぐに金融機関で、この女性が言いました。「これじゃ赤字で儲からないは」とね、偶然そこにいた私の知人が聞いて、私に話してくれました。これはえらい事になったぞと思いました。注意しないとこの女性が借金弁済のために何をしでかすかと思うと、心配になりました。知らずに近ずく人たちをこの女性のアリ地獄に引きずり込むことになるかもしれず、もう元には戻れず、どうにもならない事になってしまいました。そして、私が言った事が現実になってしまったのです。勿論、事業を始めた当初からいいことなど一度も無く、最初に設定した抵当権も抹消されることも無く、さらに色々な金融機関で金を借り、そして、平成15,6年に最後を迎えました。バブルの時、更地のままで、この土地を売れば、大儲け出来たのに、逆に大借金の大損です。大反対する人がいたのに、無視した報いです。今頃になって「あの時、川崎さんだけが反対した」と思い出して言っても、もう遅いわ。この大ばか者。

 普通の方で、先を見通して、大反対する人なんか捜してもいませんよ。普段から女性の方は博打などやった事は無いと思います。だから、博打の怖さを知らないのです。芸能人やスポーツ選手の奥様が亭主の金を使って大儲けしようとして、大失敗した話をよく聞きます。この奥様たちが、博打の恐ろしさを知っていれば、大借金が残るような事は、無かったと思います。小銭を使って博打の怖さを経験させるのは、いいことだと思います。大会社の役員の方も一度は小銭で博打をすることをお勧めします。あくまで小銭ですよ。会社の金を持ち出して大博打を打つのは、言語道断です。あくまで小銭の範囲で博打の怖さを覚えさせることが大事です。博打を一度もしなかった大会社の社長さんの失敗話を次に書きましょう。しかし、もし博打で儲けられた人がいたら、これは単なる偶然、ラッキーだっただけですよ。しかし、ラッキーなことは何度もあるわけはなく、最後は失敗して終わりです。皆さんも欲はほどほどにして、気をつけて下さい。



 昨日、この話の建物を閲覧したところ最初に借りた金も含めて1度も弁済による抹消登記がなされていないのです。大失敗事業でした。私は金を貸した支店長さんにも言いました。「なんでお金を貸したんですか?」とね。私があれほど大反対したのに、私は絶対失敗すると思ってました。もう、工事を始めたら後の祭りですよ。
 
 ※ここに出てくる「年の割には思慮の浅い、ええころ八兵衛爺さん」は物語が書けるほどの人物です。


 私もこの女性と同じ職業の人たちが、あるスーパーマーケットを初めた話を少し話します。ここに書いた女性と同じ職業の人に私が「OOさんが経営するスーパーが1カ月10万円(昭和46年頃)の利益がある」と言ってしまったことがあり、それを聞いてその同じ職業の夫婦が真剣に考えスーパーをやりだしてしまいました。私もとんだことを言ってしまったと、後悔しました。今でもそのスーパーは2か所に店を持ち、しっかりと本業としてやっています。でもここに書いた女性と違って、まだこのスーパーは、家族で働いていますので、失敗はなく、うまく営業しています。商売するなら仲のいい家族でないといけませんね。


 この話をアップする為、本人の処へコピーした紙を持って行ってきました。このアップを承知してもらいました。何か入れるものがあれば入れるよと言いましたら、息子さんも事業に反対していたと言いましたので、ここに書きます。海岸近くに建てられた建物は長い年月の間、何の手入れも無く、さびの出放題で,2階への外階段も、既にぼろぼろで使用不可能状態でした。儲かっていればペンキを塗ってたと思いますが、一度も手は加えて無かったですね。

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13年09月06日 12時10分55秒
Posted by: kawasaki
 この話の売主、買主は、私の事務所のある地元渥美町民です。その昔(昭和30年代頃)、農地の売り買いが行われました。その時は色々の都合で開墾したばかりの農地と言う事で、すぐには移転登記が出来ませんでした。しかし売買代金は全額支払いが完了していました。売却農地の耕作も、その日から当然ですが、買主の方が耕作をしてきました。その後、開墾からの時間の経過により売買移転登記が出来る状態になりました。そのため買主は移転登記を売主の方に求めました。しかし、売主は移転登記に応じませんでした。それから何十年も経過しました。売主の方より、まず先に買主の方が亡くなりました。そして、買主の娘さんの時代になり、この話を私の事務所に持ち込まれる事になりました。ある日、この農地の移転登記が、いまだに出来ていない事に気がついた娘さんが、私の古くからのお客さんと一緒に尋ねてこられました。私がその土地を色々調べましたところ、売主がかなり前に、この土地に細工をしていた事が分かりました。すぐに、買主の娘さんに細工を正しい状態に戻しておくよう助言して、直させました。売主の方もなかなかやるもんですね。まだ、この時点では売主のおじいさんは病院へ入退院を繰り返していましたが、生存していました。実は、売主の娘さんと買主の娘さんとは仕事上の顔見知りでした。それで、買主の娘さんが、売主の娘さんに、直接この話を持ちかけたところ、売主の娘さんは、「お父さんが亡くなったら登記をする」と、言ったそうです。これを聞いた買主の娘さんは裁判をしなくても、これで移転できると思いました。この買主の娘さんはしっかりものの娘さんです。はきはきと答えしっかりしていました。私はこの買主の娘さんに、この件で、一度だけ助言をしたことがありました。「今、売主は病院への入退院を繰り返しているから、ここで裁判に持って行ったら、相手はお金もあまりないように思えるし、体力的にも精神的にもかなり弱っているし、欠席裁判になる可能性もあり、簡単に勝てると思う」と、一度だけですが、裁判をすることを勧めたことがありました。しかし、裁判をすれば、弁護士費用も要りますので、相手の売主の娘さんの言葉を信じて、結局やらなかったですね。しかし、この判断は失敗でした。私が一番心配をしていたのは、裁判をするとなれば、この移転登記に協力してくれない、売主の子供を相手にするようになるんですからね、そして、心配が的中しました。売主が死亡して相続登記をしたのが、売主の話をしていた娘さん以外の相続人の方に相続登記をしてしまったのです。売主の子供だけあって、この相続人は相続登記をしたら自分の物に全部なると思ってるんですよ。今までは、私は売主の方とは一度も話をしていませんでしたが、ここで、私も初めてこの相続人と電話で話をしました。この方は「OO弁護士に話しましたので、OO弁護士に聞いてください」と言って電話を切りました。全面戦争に突入しました。すぐに、買主の方を私の知り合いの弁護士へ行かせました。私も裁判で勝つ為の心構えなどを指導しました。その後、最初の裁判に勝ちましたが、この売主の相続人は、弁護士を変えて、しぶとく又、戦いを挑んできました。勿論、最後は買主の方へ移転の登記が終わりましけどね。しかし、買主の方はお金をかなり使いました。買主の方が戦勝祝いの場を設けて下さったので、私の住んでる田原市内を走る旧国道259号線の前の料亭で祝杯を挙げました。その席で相手の相続人はこの裁判で一体いくらほど弁護士費用を使ったのかと、二人であのわからずやの女の話を酒のさかなにして話しました。

 ※本当に弁護士に頼めば売った土地が自分の元へ戻ってくると思ってるのかね。負けるに決まってるだろう。裁判前に1回でも話会い相談に応じればハンコ代よりもっと配当があったのに、欲をかきすぎです。女性の方は裁判で勝って土地を手に入れ、高い値段で売って儲けようとすると逆に大損しますよ。私の経験です。それにしても相手の女性は弁護士にいくらお金を払ったのか知りたいです。


 ※売主の相続登記をした、司法書士の先生に相談もしなかったのか、私に相談したら、  裁判は止めときなさいと絶対言います。


 ※司法書士と弁護士とが組めば、最強のタッグを組むことになり、無敵です。絶対に負けません。私の弁護士は、私がアイデアを出すと、さすが川崎さん、司法書士ですねとよく言われたものです。弁護士でも登記の事は知らない事があり、登記の事を教えた事があり、今ではそれを用いて裁判をやっています。偶然この弁護士の裁判書類を見る事が出来、私が教えた事を書類の中でやっていました。弁護士も色々な裁判事件を同時進行中であり、弁護士に頼べば安心と言うのは間違っています。あくまで、本人が真剣に考えて、弁護士にこう言え、ああ言えと指示をしなければ絶対勝てません。売主の相続人は、話を聞いたところ、全て弁護士任せだったようで、裁判の証人席では、チンプンカンプンな話をしていたそうで、話を聞いてそう思いました。その点、買主の娘さんには、裁判の心構えを教えてくれる、司法書士がいてラッキーでした。いい司法書士が、こんな、ど田舎にもいるのに、私を使わないのは、本当に残念です。


 ※買主のお父さんは日記をこまめに付けていた方でした。その日記に土地を買ったことや、移転登記に協力してくれなかったことが詳しく書かれていました。立派な証拠書類ですよ。買主の娘さんは他の先生で相続登記をしており、古くからのお客さんと、この土地が絡んでいたおかげで、裁判上手の私の所へ来る事が出来、ラッキーだったと思います。

 ※ 事件簿を調べますと平成19年6月に移転登記完了していました。 
私のブログに、この話を載せますよ、と1年ぐらい前に話しました。


 ※ 子は親の鏡と言えば 
     子供が育つ魔法の言葉の本
          (ドロシー・ロー・ノルト、レイチャル・ハリス共著)   
    親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る

この中に出てくる私の古くからのお客さんとはOO町の方ですが、その方も残念ですがこの後に、亡くなっています。その相続登記を事務所でやらせていただきました。息子さんが、お金も持たずに登記書類だけ先に貰っていきたいと言いましたので、私も黙って相続登記済書類を一式全部渡しました。息子さんがドアの処で振り向きながら言いました。「心配ですか?」と、私も一言だけ首をゆっくり振りながら、言いました「ぜんぜん」とね、それを聞いて安心したのか息子さんは出て行きました。勿論ですが、相続登記代は後から息子さんは払いにきました。この息子さんのお父さんを見れば、全く心配していませんでした。

 もう一人の家族で、お金を払わずに相続登記済書類を持って行った方がいます。その方は「後でお金を持ってきます」と言って書類を持って行きました。この方は、XX町の方でしたが、真面目な、お父さんを知っていましたので、黙って書類を渡しました。勿論後で登記料を払いに来て下さいました。親を見れば子供がどんな子か分かるものです。

 過去、お金を払わずに書類を渡したのはこの二組だけですね。いい思い出です。

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13年09月03日 10時29分37秒
Posted by: kawasaki
 この話は阪神淡路大震災から2年ほど経った頃の話です。依頼人夫婦は役場にいた私の知り合いの女性の友達だったと思います。役場の女性からの紹介で私の処へ来ました。今住んでいる土地が東京へ行った親戚の名義人になっており、なんとかお金を出しても移転登記がしたいと言う話でした。実家を出て東京へ行ってしまったので、その実家の跡を継いだのが依頼人夫婦でした。そして、今住んでいるその土地が家督相続で神奈川の名義人の夫(故人)になっているので相続登記で、今生きている妻の名義か、3人の子供(女性)の名義かにして、その後、依頼人へ贈与移転をする必要があったのです。つまり4人の女性を説得する必要があったのです。ある程度のはんこ代を払うから移転登記をして欲しいと言う話でした。私も第3者の私が入れば少しはスムーズに話が進むと思いました。私も相手が女性だしそんなに難しい話ではないと思いました。教えられた電話番号へ電話を掛けると二女の女性が出ました。この女性は銀行に勤めているとのことでした。そんな嫌味も言わず、丁寧に応対するのです。そして最後は「分かりました。考えておきましょう」と相手の女性はそう言っては電話を切りました。私も「おお、うまくいったな」と思いました。ところがこれを2年間やらされました。移転すべき宅地に建っている居宅は古く、「もう基礎の土台の木の部分がボロボロで地震が来たらすぐ壊れるから早く何とかして欲しい」と依頼者がいつも言ってきました。私も、「もう少し待って下さい」と言うしかありませんでした。神奈川へ電話すると、時々被相続人の妻であるおばあさんが出る時もありました。おばあさんはいつも言いました「なぜ登記出来るときに移転登記をしなかった」と、すると私も言ってやりました。「お金を貰ってうまいものでも食べたほうが得ですよ、だから登記に協力して下さい」とね、このお金はけっこうな金額のお金でした。2年間の最後も二女の娘は「分かりました考えておきましょう」と言いました。私もさすがにこれを聞いて怒れる時が来ました。「いつまでこんな話をさせるんだ、いいか良く聞け、もうお前たちには一銭も出さんぞ、これで裁判をするいいな」と言って電話を切りました。しかし待てよ、一度も長女の話を聞いていなかったなと思い、依頼者より電話番号を聞き長女に電話したところ「私たちはね、絶対印なんか捺さないからね」と言い出しました。私もこれには怒れました。なんだこんなやつらと話をしていたのかと思いました。私はすぐ裁判のため私の知り合いの弁護士を紹介しました。それから1か月後に依頼者が裁判所から書類が来たと言って私に書類を持ってきました。おう早いな欠席裁判が終わったかと思いました。しかし書類を見てびっくりしました。なんと被告人たちは弁護士を立てて争ってきたのです。結局欠席裁判にはならなかったのです。
 それから1年間裁判をしました。私も最後は証人として出席しました。相手の小柄な年寄りの弁護士に向かって言いました。「こんな話、欠席裁判ですぐ終わるかと思ったけれど、まさか裁判に討って出てくるとは思わなかったよ」と、すると相手の爺さん弁護士は「いいじゃないか」と言って私を睨みました。
 私は一度だけ神奈川へ手紙を出しています。勿論その手紙を裁判に使われても困りますので、売ってくれなどとは一切書いてはいませんが、あくまではんこ代でお願いしますと書きました。その手紙も証拠として出てはいませんでしたね。結局裁判は1年間で終わりました。
 勿論依頼人が勝ちましたが、被告の女たちは弁護士費用や4人の新幹線費用があり、たくさんお金を使ったと思います。私の話を素直に聞いてれば結構な金額を貰えたのに女性は欲が深いですよ。

 ※事件簿を見ると平成10年6月に移転登記完了していました。

※私もこの裁判を一度だけ見に行きました。その日は4名の女性が来る日でした。
  法廷の後ろのドアからそっと覗くと、4人の女性が裁判官を見上げて、最前列の椅子  に座っていました。絶対勝てないのに、可哀想な女たちだなと哀れみを感じました。
女性の方々は、私の電話があれば私を神様と思って下さい。けして損はさせません。
  女性の方はくれぐれも欲をかかないで下さい。損するだけですよ。お願いします。

 ※これを書いておく必要があると思い書きました。もし移転登記などで女性の方に印鑑証明書を取ってもらうなどの必要があったなら、昔、こんな話がありましたとこれを読んでもらい、そして裁判にならないようにしたいですからと、納得してもらえるように、書きました。

※私は依頼人の友人として、又、相手の方の登記相談員として中に入らせていただいています。最初から裁判に持ち込むことは到底出来ませんからね。私はあくまで中立の立場で話を聞かせていただき相談させていただき、それでも駄目なら最後は当然弁護士さんのお世話になります。謂わば、裁判所に於ける調停委員さんのようなものですね。   


 ※同業者の方も相手方に、この話を読んで貰って、裁判にならないように、ぜひお使い  下さい。

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