2013年 8月の記事一覧

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13年08月29日 16時38分40秒
Posted by: kawasaki
 昨日(8月28日)のさんまの司会のホンマでっかTVの中で、武田邦彦工学博士が言っていました。「トイレットペーパー8枚でも大腸菌が通過する」と、前にもこの様な話は時々聞いたことがありました。小学生のころ兄がトイレから出た時は石鹸で手を洗えとよく言われましたので、その頃から、習慣になってしまい自然に石鹸で手を洗います。石鹸で手を洗わないと気持ちが悪いくらいです。おしっこでは水洗いだけですけどね。と言うことで私の手はとても清潔です。汚物なんかは付いていませんので、書類の持ち帰りには安心してお持ちかえり下さい。
 手洗いといえば、もう6年以上前になりますが、事務所の奥をアパートとして使っていたことがあり、ある日、ベトナム女性がトイレから出てきても手を洗わずにいましたので、私が怒って「汚いな、手を石鹸で洗え」と言ったことがあります。この女性はおしっこから出て来た時も手を洗わなかったので、私が「手を洗え」と言いましたところ、「おしっこだからいいでしょ」と言いましたので、「ドアの取っ手が汚いだろう。おしっこでも水洗いをしろ」と言ってやりました。トイレの中にも蛇口の付いた小さな手洗いがありますが、石鹸は置いてないですね。私はこの女性には結構厳しかったですね。偶然トイレから出てくるところを見る回数が多かったかもしれません。他にいたベトナム女性には一度も言ったことがなかったですね。この女性の生年月日を聞いて調べてみたところ、超癒し系の女性でした。超癒し系の方は男性でもそうですが、男性の方で、トイレで手を洗わない人を知っています。癒し系の人の家では、色々な人間の方が自然に集まる性格から、他人も自分も手が接触しても、接触自体を楽しみ、人間に優しすぎて、清潔にはあまり注意を払っていないみたいですね。まあ要するにいい加減なんですよ。このベトナム女性も3年前に国に帰りましたが、眉毛を黒く塗っていた女芸人のイモトに似ておりました。イモトよりはきれいな古い日本人の田舎顔の女性で、けっこう魅力的な顔の女性でした。ベトナム女性(23歳)は年の割には若く見え中学生ぐらいにしか見えませんでしたね。ベトナム女性にしては背が高く162センチあり、スタイルも良かったです。血液型も珍しくO型でした。桜が咲いた時、桜の下で写真を取る時に慌てて、民族衣装のアオザイを破いてしまい写真に収める事ができず、残念でしたが、。国へ帰る時、私に「川崎さんの職業はどんな仕事をしてるんですか?」と聞かれたことがありましたが、私も「うーん」とうなってしまいました。ベトナムには司法書士はないかもしれませんので、説明の仕様がありません。とりあえず「弁護士に近い職業かな」と、言った覚えがあります。
 すいません、かなり脱線しました。とにかく私の手は清潔です。
 
 
 ※このうりざね顔のベトナム女性の写真がありますがアップが出来ません。あしから   ず。いつかどこかでアップしたいと思います。私能力ないですからねすいません。
 ※最初ベトナム女性に言った言葉があります。「私はホーチミンなんか大嫌いだ」とね  この爺さんのおかげでベトナム戦争は和平交渉が出来ず、戦争を長引かせて多くの人  が死んだ。そのおかげで、ダイオキシンの枯葉剤をアメリカがまきちらし、多くの子  供の奇形児が生まれた。みんなホーチミン爺さんが悪い。それで大嫌いです。ホーチ  ミンの悪口を言ってもけんかにはなりませんでしたね。今の子供にとってはベトナム  戦争もホーおじいさんも、どうでもいいことなんですよ。
                                おわり
 

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13年08月29日 12時46分21秒
Posted by: kawasaki
 渥美郡渥美町大字日出(現、田原市日出町)の土地の売買登記の時、たしか、農地の売買と山林の売買の2件の登記の時だったと思います。その土地に所有権移転請求権の仮登記が付いていました。仮登記権利者は「伊良湖岬村農業会」でした。普通は抵当権が設定されていますが、この日出町の土地にはなぜか、所有権移転請求権の仮登記が付いていたのです。抵当権ならば共同担保目録を見れば一目で全ての物件が分かります。所有権の仮登記は全ての物件を調査することは出来ません。つまり本体が誰か分からないのです。勿論、当時の所有者の戸籍を追いかければ出てきますがね。戸籍まで取って本人が田原市(当時は渥美町)に住んでいなければあまり意味がありません。勿論、仮登記がついている他の土地等がなければこれも捜す意味がありません。と、ゆうことで戸籍などは取らなかったですね。 過去、偶然、農業会の抵当権の付いた土地を見つけて、このような農業会の抵当権抹消の電話をしても良い返事は無かったです。ある人は「農業者年金を頼んだ時に何にも言わなかったな。もう一度OO先生に聞いてみるか?」と言われ、私も慌てて、「私の閲覧ミスかも知れません」と言って電話を切ったことがあります。又ある時は相続登記をしたばっかりの家に電話したところ、声に聞きおぼえがあり、私も「あなたの処へは昔電話したよな、このことで、それで抹消してくれない先生に今度も相続を頼んだのか、馬鹿じゃないのか」と、言って電話を切ったこともありました。それで電話してもいい返事はもらえず、気分が悪くなるだけでした。だから敢えてこちらから電話するのをためらう様になりました。こういうあまり重要でない抹消仕事は、土地所有者の方々から見れば、そんなに急いで登記をする必要のない仕事で、どうでもいい話だと思っているのです。しかしその当時は清算人の方は生存していましたので簡単に印鑑証明書を取ることが出来、農業会の抹消が簡単に出来ました。しかし今は全員死亡してしまいもう簡単に抹消は出来ません。あの当時なら2、3万円で抹消出来ましたね。私も当時の清算人から実印を押した委任状を50枚ぐらい作って持っていました。事務所から清算人のいる渥美半島の表浜にある和地町まで、2往復18キロ、印鑑カードを借りに車でよく走りました。最後の清算人の方は河合さんと言いました。この方が亡くなる前の最後の抵当権の抹消の時、電話したら息子さんが病院に入院していると言いました。印鑑証明書を1通取ってくれるように息子さんに言いました。それからしばらくして、電話したら清算人が亡くなっていました。印鑑証明書は取ってあると言いましたので、すぐに行きました。印鑑証明書は残念ですが3カ月以上経っていました。すぐに行かなかった私のミスでした。これが最後の清算人の話です。この方が昭和23年の農業会の解散の時、「清算人を選任した当時、その当時では一番若い人(10人)に清算人になってもらったんだよ」と私に、かなり以前に話をしてくれたことがありました。この件は本当に抹消登記が出来ずに残念です。

 田原市日出町の仮登記はその後、日出町にある宅地の登記簿を閲覧していたところ、ある宅地に御丁寧にも同じ仮登記が付いていたのを発見しました。本体の発見でした。電話したところで、抹消に応ずるかどうかは分かりませんので、そのままにしていました。ある時、伊良湖町の山本さんが事務所に来られたので、この人の名前を出して聞いてみました。驚いたことに「俺の相棒だ」と言いました。「OOの元支店長だ」とも言いました。私もあの人かな、と、うすうす感じました。OOの元支店長さんでも、面倒くさくて抹消しなかったのかと思わず思いました。大変お世話になっていても、これじゃ義理も人情もありません。ひどい話になりました。私の事務所で相続をやっていれば、抹消出来たのにな、と、思うと何も言えなくなりました。仕事の忙しい事務所はどんどん手抜きをするんですね。もったいない話です。この先生は農業会の抹消の仕方を知っています。私が印鑑証明書をどこで取るか教えていますので、抹消登記もやった事があり、知らない訳は絶対ありません。その後、この元支店長さんは私を見るといつも優しくにこにこしながら挨拶をして下さいます。勿論テレパシーは来ています。でも私からこの件を話すことはしません。もったいないですが。

  ※清算人の全員が亡くなっても抹消登記は出来ます。勿論、今ではお金はたくさん掛   かりますがね。

  ※この話はまだ、田原に登記所があったころの話です。

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13年08月26日 09時50分20秒
Posted by: kawasaki
 前の事務所の頃の話です。前の事務所の近くに住むWさんの話です。この方は商売をやっていましたので、結構気さくに話が出来る人でした。市街化区域の土地で、移転登記をする必要がある土地があると言っていましたが、なかなか踏み切れないと言っていました。お金を払って登記をする必要があるとも言っていました。私はその話を聞いて強く勧めました。「買いましょう、買いましょう」と言って勧めました。私があまり強く言うので買う気になったのでしょう。値段はいくらがいいか私に尋ねましたので、「※※の※※証明書」の値段で買えばいいと言いました。私がその値段を提案したところ、その値段で買ってくると言いました。「※※の※※証明書」を1通持って、東京へ行きました。売買商談は見事その値段で成立し、買ってきました。早速、私の処で登記を致しました。その土地は国道259号線沿いのある法人の隣地に当たる土地でした。その後、この土地とある法人の土地とを交換する話がおこりました。交換面積は1対2です。この交換登記は他の先生のところでやられたので分かりませんでしたが、交換登記が終わって、しばらくした頃、Wさんが、私の事務所にふらっと入って来て言いました。「あんたがあんまり強く勧めるんで、あの土地を買ったが、交換話があり、面積が2倍になった。あんたが強く勧めなかったら買わんかったのに、面積が2倍になって良かった、良かった、みんなあんたのおかげだ」と喜こびながら言いました。それを聞いて、私も勧めた甲斐があったと思いました。その後Wさんは亡くなりましたが、ある日、わたしの同級生と、Wさんの息子さんが前の事務所に来たことがありました。Wさんの息子さんだと分かりましたので、この話をしましたところ、「へー、そんな話があったのか、全く知らなかった」と驚きながら言いました。世の中には表に出ない色々な話があるものです。Wさんは誰にも言わなかったみたいですね。Wさんの相続登記は他の先生で既にやっていましたが。Wさんは2、3回、前の事務所に来てはうれしそうにこの話をしましたね。自治会の仕事の話しもしてくれました。自治会長さんはどこでも大変ですね。しかし、本当に安く買えて良かったです。
 
  ※安くて良い物件だと思ったら地元の地価に精通している司法書士は勧めます。

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13年08月23日 11時19分27秒
Posted by: kawasaki
 この話は平成5年2月から今につづいてる話です。いつものように事件簿から、大変でしたがこの日を捜しだしました。この前年の平成4年の7月に、ある人の土地に付いていた仮登記の相続登記後、この仮登記を抹消しており、その時か、又はその後かは覚えがありませんが、1筆の共有地で相続すべき土地が落ちていたのを発見しました。尚、この方(Tさん)は財産のある方でした。そして又,色々な持分の共有地を持っており、共有地をしっかりと調べないと落としても仕方がない程の財産家だったのです。最初の単独名義の相続は他の先生が相続をしていました。色々な持分の共有地が結構多く、持分が違っていましたので、結局持分相続登記を落としてしまった次第です。昔はよくあることでした。それで私などは、役場の職員に相続で落としたのがあれば教えてくれと頼んだこともありました。この方のは偶然持分相続を落としていたのを見つけたのでした。それで平成5年の2月に共有地の相続登記をやらせていただきました。これで全部共有地の相続は終わったと思いました。ところが役場の職員のS氏が「川崎さんもう一筆共有地が出てきました」と言って来たんです。私も昭和天皇のように「あっそう」と感情も込めずに言いました。これはもう本当にしょうがありませんでした。、偶然Tさんと、渥美町の当時の新庁舎で逢った時には、勿論私の責任もありますので、「今度は無料で登記をします」と言いました。しかし、その後は相続の書類も持って来ず、結局本人Tさん(平成12年11月死亡)が亡くなってしまいました。私は考えたのですが、無料ですると言っていたんだから、他でするわけないよなと思いましたが、結局どんな共有地かも知らず、調べることもせずに、ほったらかしに成りました。

 平成23年6月になって、江比間町のKさんが、数件の根抵当権等(これも大変な話だった。時効?になったら書きます)の抹消が終わり一区切りついたので、次に同じ土地に付いている仮登記の抹消をすることになりました。最後の総仕上げとして仮登記の抹消をするのです。その仮登記の名義人がこの人(Tさん)になっていました。TさんとKさんは親戚と言うことで、仮登記は形だけで付けたとのことでしたので、相続登記後、簡単に抹消できました。Tさんの息子さんにお父さんが相続を落とした共有地があるが知っているかと尋ねたところ、知らなかったようで、早速古い相続の書類を捜して持ってくるように言いました。ところがそれを探しても無いとのことでした。私もその物件がどんな不動産か知らなかったですが、今度はすぐ調べました。その不動産を見て私も驚きました。地目はため池で20,000㎡ある大きな土地でした。もう一人の方との2分の1の共有地でした。こんな大きな土地をあの時落としていたのです。私は今でもその息子さんに古い相続書類を捜せ、捜せと言っています。
 本当はもう諦めて相続書類を作り直せばいいのですがね。あの時役場の職員も、面積を教えてくれたらTさん宅まで行ってでも、そして当然ですが報酬を貰って相続したのにね。もう後の祭りですか。本当になぜ、このお父さんは相続書類をすぐ持ってこなかったのか残念です。私をもっと信用して下さい。お父さんも息子さんも私のでたらめな噂話を信用しないで下さい。私は安くて一番いい司法書士だと思っていますが、この話もアホ町民のでたらめな噂話には、やはり勝てなかったのか。渥美半島の町民を見たら、お聞きください。川崎先生が良い先生か、悪い先生か、よい先生と答えた人はアホではありません。でも、登記代が高くて悪い先生と答えた人は、アホです。かわいそうな人だなあと、思って親切にしてあげて下さい。
       あーどっこいしょ。どっこいしょ。 よい よい よい とさ。


 ※アホと言う言葉はあまり感心できませんが、ほんとうに頭が狂っていると言う意味ではありません。愛情を込めて早く立ち直って欲しいと思って書いています。その点をよろしくお願いします。

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13年08月22日 12時32分45秒
Posted by: kawasaki
 No107のブログの中に記載していた条件付仮登記の抹消登記が出来ました。昨日(8月21日)の夕方に手続終了になっていました。かなり複雑になってしまった仮登記の抹消でしたので、心配でしたが、抹消されました。一代前の相続書類がありましたので簡単に相続でき助かりました。もし、相続書類をなくしていたら、この仮登記を抹消出来ていたかどうかは分かりません。依頼人の方の中には「そんなもの他っておけ」と言う人も他の先生の話を聞くといましたので簡単に残すことは、本当に恐ろしい話です。私も平成20年から今回でこの様な仮登記を、相続登記の閲覧で見つけての抹消は2回目になります。少ないですね。本当は中山町民の相続登記仕事があまりないからです。中山町にはまだまだ、多くの仮登記が抹消されずに残っているのではないかと思います。平成20年以前に相続した方は要注意です。本当に心配です。先代の相続書類等を失くさないように大事に取っておいてもらいたいものです。


 ※参考のため物件は
   愛知県田原市小中山町一膳松1番15の土地です。
   勿論、インターネットの閲覧をすればお金が要ります。
   これを見る方は司法書士の方しかいないと思います。
   印鑑証明書は本人の1通で済みました。

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13年08月22日 11時20分27秒
Posted by: kawasaki
 このお父さんのある事情による仕事場の移転で、私に登記仕事がまわって来ました。移転場所は、市街化区域の農地でした。まず農地転用の仕事をしました。渥美土地改良区(当時)と豊川用水の各土地改良区へ地区除外書類を申請しました。一部道路として渥美町に前の所有者が売却していましたので、その道路分の未払いの負担金もまとめて私が全部立替をして支払いました。勿論、道路の面積分に関しては、売主に先に事情を説明して、払ってもらいました。農地転用の届出書類も下り、所有権移転登記も終りましたので、各土地改良区などの立替金や免許税も含めて登記代などを本人宅に頂きに行きました。結構なお金になりましたが、お金のない方ではないので、その場ですぐ支払っていただきました。売主が払った土地改良区の負担金も全部まとめて領収書になっていますので、領収書合計金額よりは6000円ぐらいは安くなっていることも話しました。その後、ある事情を知っていましたので、私もお金を貰った後言いました。「OOさんもっと前に私の所へきて下さいよ。私が相手の所へ行って交渉して印鑑証明などの書類を貰ってきますから、もし、登記が出来なくて争いごとになっても私が証人として、裁判所に出ますから」と家族全員の前で言いました。勿論、私も色々なことがありましたので、裁判はよく知っており裁判で勝つコツも知っておりましたので、自信を以って裁判の席上でどう言えばいいかを知っており、この様な事が言えた訳です。お金を貰って車のところまで来たところ、後ろから追っかけてきたOOさんが私に言いました。「川崎さんありがとう」と言って、私の手をつかんで1万円を渡してくれました。私も断ったのですが、私の言葉がとても嬉しかったのでしょうね、私もつい迫力に負けて頂いてしまいました。この方はもう亡くなりましたが、相続登記は私の処でやらせて頂きました。

 この話を事件簿で調べますと、平成6年5月に売買登記が完了していました。

   ※地元の方で困ったことがあればいつでも私の処へ相談に来てください。仕事の
    成り行き次第では裁判所でもどこへでも証人として出ます。私は逃げも隠れも
    致しません。

 


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13年08月21日 12時11分06秒
Posted by: kawasaki
第1話  頼むからAさん最初から私を指名してください。

 田原市のN町に住むKおばあさんが、昔仮登記で買った農地をそろそろ、本登記の売買登記をしておきたいと思いました。やはりAさんにどこの先生がいいですか?と相談に行きました。勿論Aさんは当然OO先生がいいよと言いました。そこでOO先生のところに行って依頼しました。OO先生は話を聞き、名義人が死亡していますので、戸籍を取りよせ相続書類を作成し、特別受益証明書(たぶん)をKさんに渡しました。その時、相続書類代の報酬を全部先に支払ったそうです。Kおばあさんが自分で所有者(売主)の方の処へ行って、話をするように言われたそうです。当然ながらそんなことは素人の方では到底無理な話ですよ。それで困ったKおばあさんは隣の農家のよくしゃべる同じ年配のS女性に相談しました。そのS女性の家族は昔、私に大変お世話になっておりましたので、当然私の処へ行けと言いました。私もKおばあさんから、この話を聞きながら思いました。この仕事は相手を説得する必要があり、相続人に話をする面倒な仕事だから農地を買われた本人に直接書類を持たせて、先生は行かずに買主本人が話し合いに行ってきてもらおうとそう思ったんだろうなと思いました。
 早速私も相続戸籍を取りました。相続人は5人程いました。被相続人の妻である一人暮らしのおばあさんに会いに中山町へ行きました。おばあさんの話では、お墓が建てたいとのことでした。早速Kさんにおばあさんの要望を聞かせました。私も裁判すればお墓代ぐらい出るから払ったらどうですかと言ったと思います。それで、Kおばあさんは、お墓代を払うとのことでしたので早速相続を進めました。売主の息子さんや娘さんの処へ行って話をしました。みんな理解を示し同意してくれました。やはり、何気ない仕事ですが、交渉力や会話力がものをいいます。ところで、昔はどこでもそうでしたが、当時は渥美町役場は土曜日でも仕事をしていました。何日間に分けて、土曜日の午前中に印鑑カードを借りては印鑑証明書を取って来ました。相続人が全部渥美町に住んでいましたので、意外とスムーズに話が進み、相続人の子供には一銭の手数料(はんこ代)の必要がなく証明書が集まりました。勿論、書類集めは私が全部やりました。ただ、渥美では処によっては、道路が狭く歩いて奥まで行かねばならず、カードもすぐその日に返さねばならず、息切れするほどでの往来もあり私としては結構大変な仕事でした。印鑑証明書代も当たり前ですが私が払いました。
 相続登記を終えて、農地法3条の許可書も取り、移転登記の段階にはいりました。お金を払う段階で、ここで初めて、Kおばあさんの娘さんが来ました。ところが、この娘はしっかり者の娘で、お墓代と売買移転登記代は払うが相続登記代は払わないと言いだしました。私もイスからこけました。本当にまいってしまいます。結局、相続書類代や相続登記代は一人暮らしのおばあさんから貰うことになりました。お墓代を持って一人暮らしのおばあさんのところへ行って、私も申し訳けなさそうに「おばあさん相続登記費用はおばあさんから貰ってくれと言われました。おばあさん払ってくれますかね?」と言ったところ、おばあさんは、黙って払ってくれました。当時、相続登記代は5万円ぐらいだったと思います。勿論、旅費日当などは入っていません。お墓代は結構な金額でした。今でもこの金額ならお墓は充分建ちます。

 ※移転登記が完了した後、KおばあさんはAさんに文句を言いに行きました。「なんであんたはOO先生を紹介したんだ、OO先生は前金を取っても何もしてくれなかったが、川崎さんは一切、前金も取らずにあっちへ行ったり、こっちへ行ったりして移転登記をしてくれたよ、あんたは一体どんな人を紹介してくれたの」と怒って言ったそうです。Aさんは驚いて「へー」と言ったそうです。とにかくAさん私の仕事の邪魔をしないでくださいよ。お願いします。

 ※相続でも売買でも依頼先の先生を教えてもらうような相談なんかせずに私の処へ直接来る方は幸せ者です。ちなみにこのAさんの隣家にはわたしの同級生がいまして、オンライン減税の相続登記を私の処でやらせて頂きました。
 この事件が何時起こったのか事件簿を調べてもわからなかったので、直接本人宅へ電話して聞くことにしましたところ、しっかり者の娘が出て「おばあさんがあの時私に登記しておきなさいと言われ、私に登記したよと言われ、農家台帳を調べたら、確かに娘の名前の土地が1筆ありました。早速、税務課で土地台帳を調べて、登記年月日を調べました。相続登記が平成元年3月、移転登記が平成元年4月でした。実を言いますと、今、このしっかり者の娘から相続登記を依頼されていますが、病気がちの妹が少しお金を請求しており、相続ができません。私は妹の味方になっており、しっかり者の娘に「そのくらいの金額なら払ってやれ」と言ってますが、しっかり者の娘らしく、もう少しまけて欲しいと言っています。この間にKおばあさんは、亡くなりました。勿論、亡くなる前に、印鑑証明書は取っております。

 ※平成5年4月からは渥美町役場は週休2日制になった。

 ※「 司法書士愛知2000年3月号 No.72 」にSさん家族の話が載っています。この話はこのブログにはとても書けませんので、あしからず。
                                 

      第2話  書類を持ってドロン

 ひどい話もあるものだ、やっと相続書類が整ったころ、それを持って他の先生のところへ行って相続しろとは一体どういうことでしょかね。農家でいえば、やっと丹精して作った作物を畑から持ち逃げされたと言うことですかね。この頃よくある話として、畑に置いてた仕事に使う一番大切なトラクターを盗まれたと同じゃないですかね、私だってこう見えても農家の味方です。渥美町内でトラクターを盗まれた時は本当に怒れました。しかし簡単に他の先生を紹介するなんて、営業妨害だ。本当に全くひどいことをする親父(Aさん)がいるもんだ。これが渥美町の現実です。あなたのお父さん(Aさん)はこんなことをしたんですよ。当時、事務所の外にいたら偶然、相続を依頼されたおじいさん(Bさん)の息子が私の事務所の前を歩いてるのを見つけて呼び止め話を聞くことが出来ました。話しの中身はこうです。B相続人のすぐ近くに住んでるAさんに、「川崎より司法書士のOO先生が安くていいそうだから、構わんからその相続書類を持って頼みに行きなさい」と、たぶんこんなことをと言われて、私が作成した相続書類を持って行けと言われて、その書類を持って行って相続登記をやってしまいましたと言うんですよ。全く何を考えているのかね。Aさん、あんたは何者だ?日本人じゃないよな。こんな義理も人情もない事を平気でする奴は死んでしまえ、のつぼにはまって死んでしまえ、何も知らないのに知ったかぶりをするな、お前に司法書士の何が分かるんだ、渥美の司法書士のことを知っているのか、俺のことを全部知っているのか、お前が死んだ方が渥美のためだ。とついつい怒鳴ってしまいました。(実を言いますと、役場の中でカラオケで鍛えた大きな声でAさんの悪口を言いました。先ほどのようなことを言いました。そして「役場の職員の中にこのAを知っている奴がいるだろう、川崎が本当に怒っていたと言っとけ」とも言いました。勿論全面戦争は承知ですよ。仕事を邪魔する奴は早く死ぬような天誅が下ってほしいと誰でも思っちゃうのは私だけでしょうか。)その後Bさんはすぐ翌年に亡くなりましたが、やはり私と話をした、Bさんの息子は又、OO先生の処で相続登記をしたそうです。この男は所ジョージに考えがよく似ている。人生をいい加減に考えてる。そういえば顔立ちも似てるよ、馬ずら顔で、いい人生だよ感心するね、ところで、Bさんの相続登記でこの相続人の中に相続に協力しない人がいましたので、裁判をさせました。裁判するぐらいなら印を押すからと言って相続書類に印を押してくれたそうです。それでも、私の所で登記をしないんですよね、相続証明書は全部で20枚ぐらい書きました。勿論戸籍も渥美役場分は取りました。戸籍代も含めてこれ全部がパーですよ。一切私の処では前金貰っていませんからね。いくら私に損害を与えればいいんですかね、全く渥美町民はアホ町民ですよ。勿論、私のところで登記する方はアホはいませんがね。この話は古い前の事務所の時代の話です。

 ※この話は事件簿にないのでBさんの宅地を調べたら平成2年と3年(Bさん死亡)に相続していました。

 ※このOO先生の味方のAさんと渥美の当時の新庁舎で偶然会いました。勿論、私は軽く挨拶をしました。そして、正々堂々と振舞いました。その時Aさんは、私を見て不思議な顔をしていました。なんで川崎は私の悪口を言うんだろうと言うような顔をしていました。勿論私はこの男の悪口を言っており、当然この人は悪口のことを承知だったと思います。しかし、その時はなぜ私が悪口を言っているのか分からなかったのかも知れません。私も少しは超能力がありますので、一瞬Aさんの考えが私の頭の中にテレパシーとして入ってきたように感じました。この人は私が戸籍を取ったり、相続証明書などは作成していたことも知らなかったかも知れません。知っていればそれを持ってOO先生へ行けとは言わなかったかも知れません。私もこのAさんの私を見て不思議な顔を見てそう思いました。しかし、Aさんは第1話の話を知っておりますので、それでもOO先生へ行けとは、余程その先生にほれてるのかね。こんな渥美で私は仕事をやってるんですよ。渥美の方はお馬鹿さんばっかりで、本当に情けないです。目覚めよ、渥美原人たち。


 ※ちなみにこのOO先生は仮登記の本登記をせずに、残して移転登記するんですよ、だから相続登記の時が残された仮登記抹消の最後のチャンスです。相続で見つけて仮登記を抹消しなければ、又見つけるのはまず不可能かも知れません。そのためにも第3者の私に頼んだ方がいいのです。偶然ですが今、平成25年8月13日付けで豊橋支局へ仮登記を権利混同で抹消中です。はっきり言ってとても複雑な登記です。その昔仮登記を相続して.売買の本登記をすれば簡単に全部済んだのですがね。今、相続登記で終わったばかりの相続書類より古い前の相続書類を捜させて持ってきてもらいまして、仮登記を相続してから混同で抹消です。これしか道はありませんでした。今提出中です。難しい抹消ですので少し心配です。


 ※このAさんの性格等を調べることにしました。生年月日が必要でしたが、この方は地元では少しは知られた方です。そのため偶然ですが、昔の保証書(登記義務者の人違いなき保証書です。作成年月日は昭和47年3月2日付けです。)を、手に入れることが出来、捨てずに大事に保存していたのが間に合いました。この書類の保証人欄の生年月日で調べたところ、Aさんは超癒し系のお父さんだと分かりました。この方には一流も二流も、三流の人たちも癒されようと自然に集まってくる人だと分かりました。その中の人がこの超癒し系のAさんに私よりOO先生が安くていいと言ったんだと思います。全くくだらない情報ばっかり手に入れて、またそれを御丁寧に使うんだから参ります。アメリカの内部告発者スノードン氏のような一流の情報元ならいいですがね、私の悪口を言うようじゃ超三流情報者ばっかり集まってきてるじゃないですか。パパラッチクラスでしょうね。実を言いますと、私にもこの超癒し系の友人がいます。やはりここにも私のような一流の人や二流、三流の人が集まって来ます。中にはこの方の奥さんの目を盗んで、お店から2000円盗んでいった、盗人までいましたからね、本当に色々集まって来ます。このAさんもこんなところではないでしょうかね。とにかく私の悪口を言うようじゃたいしたことはありませんね。私の友人の超癒し系の誕生日は勿論知っています。私が相続登記をしましたからね。その相続登記もとんでもない大変な相続登記でした。それはまた後日ブログに載せます。それでは私の友人である超癒し系のそのひとの名を発表します。田原市に住む自転車屋さんの藤城さんでーす。この人は昭和1※年の2月1日生まれでとても超癒し系の男です。自転車が欲しい方はぜひ藤城輪店でお買い求め下さい。パンク修理もやっていますし、ホンダの50CCオートバイも売るために置いてもあります。行けばとても癒されます。又、骨董品などの興味もあり、ここへ持ちこむと売ってくれます。私も、結構ここで良いものを見つけては買いました。ホントです。実を言いますと私も実は骨董品の目利きなのです。私は主に絵のほうですがね、この人は陶器が強いです。静岡の掛川からも(私はこの男を「掛川の人」と言っていました。この男と骨董品で昔、取りあいのケンカになったことがあります)この男も掛川からここへ見に来ますからね、本当に藤城は凄い人です。
     癒し系のおじさんの声を聞きたい方は
     藤城オートサイクルセンター 電話番号 0531-22-3815 です。
                   携  帯 090ー6087ー3388
     お店の場所 愛知県田原市田原町本町3番地3
 ※今、8月21日12時 この話をブログに載せることを藤城氏が承諾されました。
 ※以上、超癒し系の人には色々な人が集まって来ますよと言う話です。
 ※尚Aさんは2年ほど前に亡くなっています。相続は田原の先生でやっていました。
 オンラインではなかったと思います。私が一番安いのに残念です。


         030301(謎の番号?解けるのはAさんの家族しかいません)


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13年08月16日 16時55分14秒
Posted by: kawasaki
 昭和50年代の話です。この方の娘さんが、仕事で渥美の登記所に来ていました。それでその娘さんのお父さんだということで、私も親しみを込めて対応しました。その娘さんが結婚した後の話です。かなり、調べたのですが、多分こうだったと思います。おじいさんの農地を宅地転用した土地だったと思います。その宅地を贈与しておく必要がありました。この宅地1筆だけでしたからね、残しておくと相続などで面倒だったからです。ここまでは普通に話が出来ました。問題はその次の段階でした。このまま1回で相続すれば当然ですが贈与税が出ます。そこで何回にも分けて贈与させて下さいと言いました。ところが、お父さんは軽い言い方で「いいわ」と言うのですよ。いいわという言葉はやらなくてもいいわですよね。どうみても、そのようにしか聞こえませんでした。それで何回でもやらせてほしいと私は言いました。するとやっぱり軽い言い方で「いいわ」と言うんです。こんなやりとりを何回でもやりました。そして最後に私はブチ切れました。「いいか、よく聞け、あんたの娘さんをよく知っているから、私も娘さんに怒られないようないい仕事をやってやろうとしてるんだ。贈与税が出ても、私は一切責任は取らんぞそれでもいいんだな」と半分怒鳴りながら言いました。すると今度も軽い言い方で「いいわ」と言うんです。私もこれには笑うしかありませんでした。何回にも分ければ私も報酬になりますので、分けて贈与申請を出したかったですが、どうやらどぶに捨てたいようでしたので、「それなら税金が出たなら又来てください、その時また考えましょう」と言いました。そして翌年の3月の申告の時、贈与税が出たと言って来ました。「よしそれじゃあ抹消しましょう」と言ったのです。すると軽い言い方で「いいわ」と言うんです。私はいつもの軽い言い方で言いましたので、それ以後、バカバカしくて一言も話しませんでした。贈与税を払うつもりならなんで事務所に来るんですかね。事務所に来なければいいではないですか。この方が事務所に来たのが全く分かりませんでした。
 それから3カ月過ぎたころ、結婚して嫁いでいた娘さんが旦那さんと一緒にやってきました。
「お父さんがね、川崎はだめだなー、だめだなーとみんなに言ってたよ」と言いました。
 私も軽く次のように言いました。「贈与税が出るから何回にも分けましょうと言ったんだけどね、お父さんは全然聞かなかったんだ。だからしょうがないよ」とね。
 このお父さんは私に一体どうして欲しかったのでしょうかね。全く分かりません。


 このお父さんはとても耳の大きな人でした。いわゆる長命、長生きの相ですよね。2か月前、女優の綾瀬はるかさんと高倉健さんがテレビで話をしているのを見ました。綾瀬はるかさんがこう言いました。「健さんは耳が大きいですね。耳の大きな人は人の話をよく聞くと言うじゃないですか?」すると高倉健が言いました。「いえ、ぼくは人の話は聞きません」と、このようなやり取りの話をテレビで見ていまして、あの耳の大きなお父さんを思い出しました。
 

 私もこれ以後は、贈与税は最後まで出さないように何が何でも本人の話など聞かずに贈与登記をするようになりました。今はどぶはきれいです.

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