このブログを書くために太平洋で離岸流の実験をしました。勿論実験は嘘ですが、じつは実体験をしていました。私は偶然にも、海でも流されてしまいました。しかし、まさかこのようなブログを書くために、貴重なあぶない経験をさせられたわけではないと思います。しかし、恥ずかしながら太平洋でも流されて怖い思いをしました。それではその怖い思い出をお話しします。最初の事務所の時代の頃の話です。昭和48年頃だったと思います。最初の事務所は渥美半島の伊良湖岬から約6キロ東の太平洋側にある堀切町にありました。現在の国道42号線沿いです。当時はまだ県道でした。色々事情がありまして、渥美半島の西にあった渥美出張所の近くには、まだ事務所を出す事ができませんでした。しかしそのおかげで、表浜沿いの日出町、伊良湖町、堀切町、小塩津町、和地町の方々が多く来られました。特に堀切町の小久保八代士さんにはよくお客さんを紹介していただきました。今は夫婦とも故人になってしまいました。最初から町中へ出なかったのは、逆によかったかもしれません。町の中心へ事務所を出すなら、味方を少しでも引き連れて出るのが一番良い方法だと思います。堀切町の事務所は海岸道路沿いにありました。周辺は農家ばっかりのまったくの田舎にありましたので、呑気なものでした。事務所の前が太平洋なので、泳ぐ事もできました。夏のある日の夕方ごろだったと思います。事務所の所有者の方の子供を連れて泳ぎに行ことになりました。中学生の男の子とその友達を連れ事務所の西840メートルの小塩津町の海岸まで車で行き泳ぐ事にしました。子供たちは付いてきただけで泳ぎませんでした。波は太平洋でしたので、多少はありました。それでもざぶんざぶんと聞こえる程の普通の波でした。当時は赤羽根町の海岸にはサーファーはいたと思いますが、そこにはまだいませんでしたね。私もどうゆうわけか、自然に海に泳ぎだしました。その時はまだ離岸流なんて言葉はまだ無かったかも知れません。私も当時はそのような言葉は、一度も聞いた事はありませんでした。海へ泳ぎだしましたが、たぶん立ち泳ぎで泳いだと思います。しかしあまり覚えがなく、そんなに疲れるほど泳いだ覚えが無いのです。沖へ出てなんとなく岸の方をふりむくと、えっと思いました。すでに150メートルほど離れているのです。岸より離れすぎと思い、これはまずいなと思いました。それですぐ泳いで戻ろうとしました。ところが平泳ぎでひとかきしたところ全く前に進まないのです。驚きました。でも慌てはしませんでした。すぐに泳ぐのはやめました。体力の温存を計ることにしました。あまり体力ありませんので当然です。これから1時間でも2時間でも、流されてもいいように泳がない事にしたのです。一瞬ですが、このまま太平洋一人ぼっちになるかと思い恐怖感に襲われました。そのまま何もしないで、漂っていました。しばらくすると伊良湖岬方面(堀切海岸)に流されている事がわかりました。声を出して「おーい、おーい」と海岸にいる二人の子供に一度だけ叫びましたが、助けてくれとはまだ言えませんでしたね。しかし後で聞いたところ「おーい」とゆう声は聞こえたそうです。その後は堀切町の海岸線に沿って流されて行きました。内心は砂浜に物が打ち上げられてるのだから、打ち上げられるよなと心に言い聞かせていました。横に流されてすぐに堀切の海岸がどんどん近ずいてくるのが分かりました。心の中に希望がわいてきました。 ある程度海岸に近ずいてきたところで、ここぞとばかりに泳ぎました。そして、波と一緒に1回転しながら打ち上げられました。離岸流の話が話題になった時は、今でもこの事を思い出します。私が海へ出た場所は、ちょうど離岸流が流れているところで、あれよあれよと、離岸流に乗って沖へ流れ出て行ったと思います。離岸流を知っていればそんなに怖くは無かったかも知れませんが、私にとってその時の太平洋は、なんせ初体験でもあり、一瞬ですが恐怖感をしっかりと味あわせていただくことが出来ました。もう二度と太平洋で泳ぐ事はごめんです。本当に怖かったです。自然を甘く見てはいけません。南の島で海底散歩中に行方不明になる事件がありますが、私もちょっとだけ経験していますので、流された人たちは、きっと何時間にも亘り怖い経験をしただろうなと思いますね。とにかく所詮は遊びです。命がけで遊びをするものではありません。




 このブログを書こうと思っていた時に中日新聞の7月16日(水曜日)の東三河版欄に第四管区海上保安本部(四管)が15日にサーフィンが盛んな田原市赤羽根町の表浜海岸(海水浴は禁止)で、海岸から沖合いに向かって流れる「離岸流」の調査をした事が載っていました。
 新聞によると離岸流の速さは毎秒0・6メートルと記録されたそうです。四管の潜水士の井上晃明さんは「流れは以外に早く、訓練を積んだ自分でも恐怖心を覚えた」と話しています。
 16日も太平洋ロングビーチで調査しています。16日のテレビ(メーテレ)で離岸流の事が放送されました。夕方でしたが、私はしっかりと見ました。その時は秒速1メートルあったそうです。オリンピックの選手でも流れに逆らって泳ぐのはなかなか難しいそうです。と言っていました。離岸流に巻き込まれたら「そのままじっとしていれば自然に向岸流に載れる」と言っていました。全く私と同意見でした。とにかく表浜では海水浴は禁止絶対に泳がない事です。サーファーは足とボードがひもでつながれています。ボードと一緒に泳いでいるようなものです。また、日ごろの鍛錬もあり、おぼれる心配は少ないと思います。水のきれいな渥美半島には、公認の海水浴場がたくさんありますので、そこで泳ぐ事です。
 

 渥美半島の太平洋側で子供が波と遊ぶのは絶対やめましょう。波にさらわれて行方不明になることがあります。子供を遊ばせるなら海水浴場の海岸で遊ばせることです。

 
第4管区海上保安本部の海洋情報部で離岸流の言葉の起源を聞きましたが、何時頃から離岸流とゆう言葉が出来たかは全く分からないとゆうことでした。昭和48年頃にはその言葉はなかったかも知れません。又その様な離岸流があり戻れなくなる現象もはっきりと認識されてはいなかったかも知れません。


 高いところから飛び降りる娯楽施設でバンジージャンプがありますが、離岸流を冒険する。離岸流ブーメランとゆうような名前の娯楽施設を作って料金を取り、離岸流をよく知ってもらうのもいいことかもしれません。パニックで水死する事が無くなるかもしれません。離岸流に乗って沖に出て、ブーメランのように岸に戻ってくる施設です。施設費用も要らず、監視には水上バイクがあればいいかもしれません。渥美半島にそのような体験的娯楽施設があれば離岸流の理解が深まり、離岸流で亡くなる人はいなくなると思います。
 又離岸流を競技種目にする提案はどうでしょうか?。海岸からよーいドンで離岸流に乗り、 沖で向岸流に乗り、海岸に戻ってくる競技です。勿論タイムを競う競技ですから、早く海岸に帰って来た方が優勝者です。しかし、危ないですから、体験者、競技者には、必ずライフジャケットを付けてもらいましょう。

 
 26日の中日新聞に新潟県村上市の87才(1927年生まれ)のライフセーバー本間錦一さんが出ていました。活動を始めて40年目だそうです。肩書きは市水難救助隊長です。インターネットで名前を調べると出ています。食事内容に気をつけ、また、ふだんのトレーニングの量に驚きました。そんな本間さんにも、忘れられないつらい記憶がある。市の監視員になって2年目の76年、小学2年生の女の子が行方不明になった。両親は、浮輪をしているから安心だと思い込んで目を離していた。「浮輪は波で簡単にはずれてしまう。飲酒後に泳いでおぼれた人を除けば、監視時間帯に亡くなってしまった唯一の例です。今も胸に刻んでいる」。それ以降、口うるさいと思われても、浮輪をしていることで安心しないよう子供を連れた親に声を掛けている。と書かれていました。警察庁によると、水難事故の死者・行方不明者は毎年700人から800人いるそうです。うち半数は海で亡くなっているそうです。
 27日(日曜日)の夜のニュースで、熊本の川で浮輪をした女の子が浮輪から外れて流され、両親が助けようとして両親が亡くなったと伝えていました。子供は助かったそうです。本間さんの言うとおりのことが起こりました。このブログを読んでこのことを頭に叩き込んで下さい。浮き輪をした子供を見たら必ず親にこの事を話して下さい。よろしくお願いします。



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