この話は昭和27、8年頃の渥美半島での出来事です。
 あの忌まわしい、第二次世界大戦が終わりまして、日本に駐留していた米軍も治安のいい日本では、色々なところにジープで観光旅行をしたと思います。当然渥美半島にもアメリカの兵隊さんが来られても、なにもおかしくはありません。たぶん昭和27年か28年頃だと思います。当時は与加楼料理旅館がある周辺は地元では一番の繁華街だったと思います。産めよふやせよの時代で、子供たちも一番多かったころではないでしょうか。俗に言う終戦っ子ですかね。とにかく子供がたくさんいたころです。私が住んでいたところは、当時渥美町役場のそばですので、高台にあたります。役場に入るこの道路で子供たちは遊んでいました。与加楼料理旅館は役場からの坂道を下りた処にありました。今でも当時と全く変わらずにあります。与加楼料理旅館周辺は今でも昭和の時代を残した古びた雰囲気のあるところです。たぶんアメリカ兵は伊良湖岬の恋路が浜まで行って、太平洋を見て来た帰りだと思います。当時は伊良湖岬には気の利いた食堂はなかったかもしれません。それでおいしい食事が出されると聞いた与加楼料理旅館に来たのではないかと思います。私たち子供たちも役場周辺の道路で遊んでいたところ、アメリカ兵が与加楼に来ているよと聞かされて、子供たちはみんなで坂道を下りて見に行きました。そこにはめちゃくちゃに背の高いすらりとした、アメリカ軍の軽い服装をした二人の白人の兵隊さんがいました。とにかく格好がいいんですよ。戦闘中の軍服ではなく、戦場以外で着る普段着用の軍服を着用していました。帽子もかぶっていましたよね。これが正当派のリラックスした服装のアメリカ兵だと思います。ちょうど食事を終えて外に出てきましたが、出口まわりは子供たちがいましたので、しばらく兵隊さんは立ち止まって子供たちを見ていました。すると一人の子供が兵隊さんの前に出てきました。そこで身振り手振りをして、兵隊さんにこうしてほしいといいました。兵隊さんはにこにこしながら、その子供をヒョイと頭の上に持ち上げて高い高いをしだしました。子供も大きな声でわーわー言いながら大喜びで叫びました。最初の子供が下ろされると、子供たちが、僕も僕もと言って兵隊さんにせがみました。兵隊さんはいやな顔もせず、高い高いを繰り返しました。やっぱり最初の子供が一番勇気が要りますよね。はいはい、最初にアメリカの兵隊さんに命令した子供は私です。


 与加楼料理屋さんは今でも料理が食べれます。今の夫婦で3代目になります。お店は国道259号線沿いの保美町にありますが、今でも自宅は福江町のここにあり、ここに住んでいます。フェイスブックで調べたところ創業が大正11年11月11日だそうです。


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