2014年 11月の記事一覧

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14年11月28日 01時45分15秒
Posted by: kawasaki
 先月の10月25日(土)は愛知県司法書士会のソフトボール大会がありました。私は検体手術を27日(月)に控えていましたので大事をとって試合に出るのはやめました。
やはり、ソフトボールの試合は必ず捕手になり3試合やれば、必ず腕に負担が掛かり検体手術には何かとまずい事になると思います。やめて正解だと思います。しかし、実は試合の日の夜は友達よりベりーダンスショウの予約を取ってあるから行こうと誘われてもいました。人生は短いですからね、田原のトヨタに勤めているN君に時々ベりーダンスの話を聞かされていましたので、N君に予約を取って頂きました。N君は予約を取っただけで行きませんが、私の友達の男も今は妻に先立たれて独り身でいますので、たまには目先の変わったショウでも見たくなったのでしょう。私も現実離れしていておもしろいと思いました。前から聞いた話では、そこのレストランではベりーダンスを習っている生徒さんがよく踊っているとの事でした。しかし今回は生徒さんの先生が踊るそうです。先生といっても選手権に出るほどのプロだそうです。場所は浜松市内です。夕方出発しました。私の車にはカーナビがありますので、何とか着きました。ショウは食事つきでバイキングでした。若い女性ばっかりでしたね。男は4人ぐらいしかいませんでした。女性は25人ぐらいはいました。食事をしてショウの時間が来ましたらテーブルを寄せて3畳ぐらいのスペースを作りました。そこへ踊り子さんの先生が、キンキラ金の服装で、やはりへそだしルックで出てきました。先生が出てきたようで、生徒さんらしい女性が大喜びで歓声を上げていました。まるで宝塚歌劇団のような雰囲気でした。踊りはプロでしたね。うまいです。本場では刀を振り回すかも知れませんが、傘の柄と全く同じステッキを振り回していました。踊り手は2人で各2回ずつ踊りました。踊っているところは写真を撮らないで下さいとのことでしたが、後で踊り子さんを囲んで写真を撮らせて頂きました。お客さんもみんな入りまして、卒業写真状態でした。


 浜松市内のショウの場所は「ロバのミミ」とゆうところです。レストランに入るとスリッパに履き替えます。美女が水パイプみたいのを喫煙していました。びっくりです。写真を撮らせていただきました。みんな美人ばっかりでした。生徒さんが踊っているところも見たいですね。狭いところですから予約が必要です。渥美にも来て貰いたいです。


 愛知県司法書士会のソフトボール大会は我が豊橋支部は2勝1敗で決勝戦に破れ準優勝だそうでした。決勝戦はあと一歩で負けたそうでした。3塁手が捕れないような打球を捕られて負けたそうです。そこを抜ければ逆転優勝だったそうです?。私も見ていませんので詳しくは分かりません。
    


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14年11月19日 01時49分45秒
Posted by: kawasaki
 昭和50年代の話です。勿論事件簿を調べれば正確な年代も分かります。私の持っている古い住宅地図にも、この話となる建物の名前が載っています。その地番を調べれば正確な時期は分かりますが、今回のブログではあまり関係ありませんので、詳しく書きません。昭和50年代のある日、前の古い事務所に男性の依頼人が来られました。第一印象は背はあまり高くはありませんでしたが、肩幅の広いがっちりした体格の方で背広姿でしたね。この方を見た時に、格闘技のスポーツでもやっているのかなと思いました。依頼人の話を聞くと、移転登記ができなくて困っているとの事でした。地目が農地で仮登記がしてあったと思います。民宿の隣にある農地を移転登記をして欲しいとの事でした。農地法第5条の許可を取る必要がありました。まわりは畑でありましたが、申請地はなぜか農地転用がすぐできる白地の農地でした。民宿の駐車場として申請地を転用すれば許可が下りそうだと思いました。当時渥美町農業委員会は古い渥美町役場の北側の2階にありました。担当は森下君でした。彼はもう中途退職して役場にはいませんが、彼が担当していた事を思い出します。5条許可申請書を持って行ったところ、申請人の名前を見て笑いながら私に言いました。「これあれじゃないの」と、私も実はうすうす感じていましたが、誰にも迷惑を掛ける仕事ではなく、登記が出来ずに困っているとの事でしたので、淡々と書類を作りました。その後、申請してから3ヶ月後に許可が下りてきました。移転登記も完了し、地目変更も完了して、しっかりと代書料も貰い終了しました。その年のお盆ごろに、この方が来られました。私も一瞬お礼参りかなと思ってしまいました。登記料がかなり高くなりましたからね。それで恨みでも言いに来たかと思いました。「先生その節はありがとうございました」と言って、大きな箱を差し出されました。なんとお中元でした。今までお中元などは貰った事が無く、びっくりしましたね。登記と同時に菓子折りを頂く事はありますが、後にも先にもお中元は初めてです。やはりこの方たちの世界は義理と人情の世界だったんですね。お中元はありがたく頂きました。


 高倉健さんが亡くなりましたので、このブログを書くことにしました。題名から察してください。高倉健さんのご冥福をお祈りします。



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14年11月12日 15時01分46秒
Posted by: kawasaki
 昨日11日に名大病院へ行き、検体の報告を受けました。勿論ガンではありませんでした。神経関係の物だそうです。耳の後ろに出来た物と全く同じだとゆうことです。机の上で図に書いて説明をして頂きました。線を5本ぐらい書き、その中の一本がこの腫瘍につながっているとのことでした。神経関係の腫瘍だとゆうことで、それでチクチクするのだと言われましたが、私は少し違うように思っています。やはり長年これと付き合ってきていますので、そんな簡単なものではないと思っています。しかし取り合えずこれでやっと手術が出来るかと思いました。ところがガンではないので、ここでは手術はできませんと言われてしまいました。名大病院はガン手術専門の病院だそうで、私のように急いで手術する必要のない人は、出来ないそうでした。それでまた新しい病院の紹介になりました。ストーリー的には面白いですが、私にとってはまた一からやり直しかと思いました。ガックリです。今度は名古屋の北区にある病院で、「総合上飯田第一病院」だそうです。インターネットで調べたところ、検体手術をして、又今話をしているこの名大病院の先生が、非常勤で勤務をしている事がわかりました。しかし話を聞いてみますと、かなり混んでいるようで、手術を申し込んでも2ヶ月ぐらい掛かるそうです。紹介状を貰いましたが、この先生が当番の日の午前中にまず来て下さいとのことでした。またCDRがいるそうです。何時になったらぶった切ることができるのでしょうか。悩みますね。今事務所のリフオーム工事を初めていますので、ゴミ出しなど色々あって大変でした。事務所を開けるわけにもいかず、ホントに悩みます。でも結局は、クレージーキャッツの植木等ではないですが、「そのうちなんとかなるだろうー」ですよ。


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14年11月08日 13時03分45秒
Posted by: kawasaki
 10月31日の朝、この日を予約していましたので、書類を持って豊橋支局へ行きました。この書類を提出する時はいつも朝早く行きます。その後の手続きがありますので、必ず朝早く行って申請する事に決めています。やはり事務所と支局が40キロ離れていますので、仕方が無いですね。この書類の有効期間は1週間ですが、この書類を貰ってすぐに清算します。いつもは支局にくる時間は夕方ですが、夕方では遅いですので、やはり午前中でないとまずいです。この書類の話はどうしてもクイズみたいになってしまいます。申し訳ありません。この日代表者一人で申請しましたが、完了しました。これで安心して次からは代表者一人で書類を出す事ができる事が確認されました。えらい進歩です。私は去年、所有者二人用の書類を提出した事がありますが、二人用の書類がありましたので、不思議な思いです。でもこれからは一人で申請できますので、本当に楽です。この様な書類は昔なら平気で書類を作って申請したものですが、今では無理ですね。本人確認の時代ですから無理です。しかし私が5年後に引退となれば、私はやってしまうと思います。後は野となれ山となれですか、結局は誰にも迷惑を掛けない仕事ですからね。やると思います。しかし代表一人で申請出来ましたので、これで「ちっぽけな悪事」はやる必要が無くなりました。ひとまずは安心です。

 この仕事は私の事務所のある旧渥美町にはまだまだ沢山あると思います。昔は登記簿の閲覧ができましたので、よく発見をしました。今は無理です。渥美町の皆さんも私の様な良い先生に相続をご依頼下さい。私に依頼すれば間違いなしです。




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14年11月07日 01時32分49秒
Posted by: kawasaki
 4日に中西病院(Nクリニック)で検体手術の抜糸をしていただきました。検体手術で、寝た子を起こしてしまったかも知れません。手術後、抜糸付近が赤くなっており、これからすぐに次の手術は無理かも知れません。今度は私もはっきりと言いますよ。「しばらく腫瘍摘出手術は延期して様子を見たいと思います」とね、時間をおいて傷口が完全に癒えてから手術をしたいと思います。もう一度検体手術前の状態に戻してから手術したいと思います。慌てて手術をすれば良いとゆうものではありません。しかし早くこの腫瘍は絶対に取らなければいけません。もう残しておくわけにはいかないのです。中西病院の先生も「腫瘍が大きくなった」と言いましたので、私は「そんなことはないですよ」と言いましたが、触るとなるほど少し大きくなっているような気がします。やはり寝た子を起こしてしまったと思います。検体手術は私にとっては全く意味がありません。検体にガン細胞があったとしても、結局は腫瘍は採るのですからガンだろうが何だろうが最後は手術をするのです。だから意味など有りません。大阪夏の陣で真田幸村が最後は徳川家康の首ひとつとゆうことで、家康の本陣へ向かって家康を殺しに行くのと同じなのです。くだらない事などせずに、究極の仕事は腫瘍を採ることなのです。私は腫瘍を採るためにわざわざ名古屋まで行ったのですから、先生そこのところを分かってくださいよ。年間100件の手術件数を誇っているなら、MRIなどを見ればすぐにわかるのではないですか?私もこの腫瘍と40年間も付き合っているのですから、腫瘍がガンではない事は百も承知ですよ。検体手術が無ければ、今頃は腫瘍が採られ、抜糸も終わり、全て終っているのですから、なんでこんな道を踏まなければいけないのか、私には分かりません。検体手術で私が少し窮地に陥ってるようじゃ先生、先が思いやられますよ。中西病院の先生は、検体が何かを知っていれば、敵を知っているので、手術が安心だと言いましたが、手術が1回多くなるだけであって、患者としては痛い思いを2回するわけだから、あまり得にはならないです。手術は1回だけで結構です。検体手術などはしない方が絶対良いですよ。名大病院もまだまだ改善の余地はありますね。検体手術が終ったとき看護婦が私に「川崎さんは強いですね」と言われました。これはどのような意味なのでしょうか?私は一瞬人体実験をさせられたと思いましたよ。 検体の採り方このようにするのですよ。とあの時、お弟子さん2人に見せていたのかね。検体採りは余分な金も要るし、本手術よりも痛いし、検体手術などするもんじゃねえ。お大事に


    


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14年11月01日 12時16分50秒
Posted by: kawasaki
 耳の後ろの手術の時は3日ぐらいで、ガーゼなどは取り除きました、今回は腕ですので、月曜日の3時の手術からずっと包帯を巻いていました。昨日の夜、マキロンで消毒後はそのまま包帯も巻かず腕の部分を裸にしていましたところ、ちくちく感がなくなりました。包帯を巻くとちくちく感が又出てきました。鈍痛もでてきました。慌てて包帯をはずしました。包帯の巻き方で痛みが出てくるのが分かりました。私の腕はかなりナイーブな腕かも知れません。今日は包帯をゆるく巻いていますので、ちくちく感は全くないです。抜糸までは包帯が必要ですので、このまま順調に痛みが無くなればいいかと思います。名大の先生は私のナイーブな腕を少し甘く見ていましたね。今回の手術に関しては、検体は採らずに最初から腫瘍を採るべきだったと思います。年間100件の手術数ですから、MRI画面を見ればどうゆう手術になるかは判ると思います。私は捕手で右利きですので、右腕の腫瘍に癒着があるとは思いません。MRI画面を見ていた時、袋に入っているから癒着はないと言っていました。袋さら腫瘍を取り除くかどうかは分かりませんが、手術自体はそんなに難しい手術ではないと思います。時々私の事務所に来る江比間の男にこの話をしたところ、この男は名古屋で痔で有名な病院で痔の手術をしたそうです。その時お尻に有った腫瘍もついでに取り除いたそうです。やはり袋に入っていたそうでした。袋入りは簡単かも知れませんね。しかしこの男はなかなか病院に詳しく浜松の優秀な病院の事も話してくれました。


早くスパットやってくれ。
腕のいいところを見せてくれ。
じらさずにやってくれ。
もう待ちきれないぜ。



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