2014年 6月の記事一覧

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14年06月30日 18時03分54秒
Posted by: kawasaki
 昨日の29日の日曜日に鎌田町内会の毎年恒例のバス旅行がありまして、下呂温泉にあるホテルくさかべアルメリアに行きました。早い話がニューハーフショウと昼食バイキングのための旅行でしたね。朝7時に田原市をいつものように出発しました。車内で飲み物や、食べ物がありますので、あまりバイキングは楽しくはありません。しかしホテルのバイキングも20種類ぐらい色々な物が出ていまして、高い果物などもあり、大食いの方なら良かったかもしれません。私は少食ですから種類が多くてもあまり興味はなかったですね。ニューハーフショウですが、私もこの様な方々を見るのは初めてなので、大変興味がありました。出て来たニューハーフ(タイ人)の方々はきれいな方ばかりなので、本当にお嫁さんにしたいくらいです。やはり、外見も性格も女性ですよ。日本の法律も男同志の結婚が出来るように変えるべきです。海外では結婚できる国もありますので、早く日本も相続財産のこともあり、法律を変えるべきだと思います。ショーの最中は動画はダメと言われましたが、写真はOKだそうでしたので、バチバチ撮りました。私が結構目立つ白い少し大き目の一眼レフカメラで撮っていましたので、彼女たちも結構私に向かって投げキスやら、ピースサインなどのポーズを送ってきてくれました。帰ってきてパソコンに入れて見ましたが、やっぱり女性ですよね。こんなニューハーフの女性たちが、知らずに誘惑に来ましたら、私などはすぐに間違いを起こすと思いますね。ホントにきれいですから。事実ショーの後、この踊り子さん達が外の出口の通路で待っていました時、同じ町内の一番若い既婚者の男性(チャゲアンドアスカのアスカに少し似ている)が、むりやりチューされていましたのを見て、若い人はいいなと思いました。通路の最後の処で私もつかまりまして、「1000円だけだぞ」と言って、広げる胸にお札を入れてあげました。きれいな胸をしていました。ちょっとだけ間違いを犯しました。こうして細い通路を通って出てきました。今回も町内に住んでいる外人女性の方も背の高い体格のいい息子さんとバス旅行に来てくれました。その外人女性の方も通路で捕まっている、町内の方を見ながら、身ぐるみはがされるんじゃないかと心配してました。たまにはこのような余興バス旅行も面白くていいかもしれませんね。


 入口でニセのお金を買う事ができますが、ニセのお金はみんなで平等に分けるみたいで、お札は個人のものになるみたいです。町内の方がそのように言っていました。


 くさかべとは「日下部」とかくみたいです。社長さんの名字だそうです。アルメリアは日本名は「はなかんざし」です。小さくてかんざしのような花ですね。花言葉は「おもてなし」だそうです。


 鎌田町内会のバス旅行も幹事の二人の女性も高齢になってきており、今年でバス旅行は無くなる様な事を言いました。又新しい幹事さんでもなってくれる人がいれば又,続けるそうですが、どうなるかは分かりません。


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14年06月20日 06時58分23秒
Posted by: kawasaki
 田原市役所の住民課に相続戸籍を取りに行くと、必ず証明書を見せろと言われます。朝行って、昼行っても見せろと言われます。この事でいつも私はぶちきれます。私が間違っているのでしょうか?。きっと私の事を住民課の連中は、モンスターだと言っているのではないかと思います。だいたい本人確認と言うのは、初対面の人でその人が本当に司法書士かどうか、分からない場合に司法書士証明書を見せる必要が有るのであって、皆知ってるのに見せろと言うのは、どう考えても馬鹿の一つ覚えだと思うのだけど、他の先生はどう思いますか?。やはり馬鹿じゃないかと思いますよね。これは課長さんに問題があると思いますよ。上司がこんなばかばかしい事をいつまでもやらせていてはいけないのです。田原市では本人確認が始まってから、もう6年ぐらいになりますが、今でも見せろ見せろですよ、ほんとにばかばかしい限りです。見せる時間がもったいないです。だから私がぶちきれるのです。大の大人がですよ、子供じゃあるまいし、幼稚園の先生に言われた事をいつまでも守っているなどは、全くアホらしくて話になりませんよ。このようなくだらない事で、自分の判断が出来ないなら、そんなものは公務員の資格などはなしです。私は手を抜けとかそうゆうことを言っているのではなく、誰が見ても私は司法書士の川崎だろう、請求用紙も、がちがちの司法書士専用用紙を提出してるのだから見る必要などは全くないのです。分かりますか?。私の証明書を見ないと精神的に追い詰められるほどの心配症で不安症なのか?。人の顔をすぐ忘れてしまうなど、お前たちは若年性の認知症か?。 形にはまった事しか考えないから、アイデアも進歩の心もない。何も考えてないから、戸籍の附票もでたらめな間抜けな書類になり、住所変更登記が簡単にはできなくなってしまいました。今月に入ってから、2件の相続書類に不在住、不在籍証明書と納税証明書を添付したよ。司法書士の先生はみんな困っていますよ。全くひどい住民課に成り下がりました。上から言われた事もおかしいと思えば、どんどん上司に問題の提案ぐらいしたらどうでしょう。ほんとにいい年をして情けない限りだ。昨日も弟の調査士から、分家住宅に添付したくても戸籍の附票がでたらめで困ったと電話がありました。昭和48年頃に私が相続した件についての電話です。戸籍の附票が当時の相続書類に付いているかどうかの電話でした。分家住宅用にどうしても住所の確認に必要だそうで、本当に困っているようでした。住民課もとんでもない戸籍の附票を作ってくれました。 




 それではここから豊橋支局登記受付係の真実に入ります。
この話は余程後からこのブログに出そうと思っていましたが、あまりにも田原市役所の住民課がでたらめな事ばかりするので、この話をここに入れさせて頂きました。
 けして法務局を馬鹿にして書くわけでは有りませんので、そこのところはよろしくお願い致します。
 本人確認を支局が始めたのは、本人確認の施行日が平成20年3月1日ですので、ちょうどその日から始めたと思います。特例でできるオンライン登記申請がはじまってすぐですよね。その日から支局では受付に来る方に対して本人確認の証明書を見せて貰うようになったと思います。私も書類を提出するたびに、司法書士証明書を見せました。それを見せて登記識別情報などの書類等を貰って来たものです。私は毎日支局へは行きません。大体金曜日に行く事にしていましたので、週1回証明書を見せていましたね。他の先生はどのように見せていたのかは全く分かりません。補助者の方が書類を取りに行く事が多いかと思いますが、補助者の方が受付の方に補助者用の証明書を見せていたと思います。私が証明書を見せるようになって半年が過ぎた頃、さすがに私もうんざりしてきましたね。渥美の登記所でも、田原の登記所でも、当然ですが、それまでは一度も証明書を見せろとは言われませんでしたからね。突然見せるようになりましたから少しめんくらいました。 当時は支局の登記受付は男性の方で40代ぐらいの方がやっていました。その方に金曜日に行くたびに証明書を見せました。当時は支局の中が、今のような配置をした受付ではなく、登記受付の隣で収入印紙を販売していました。販売員の少し年増のおねえさんと挨拶を交しながら時々冗談を言っていたのが思い出されます。半年間はその同じ男性の方がずっと受付をやっていました。実を言いますと、その男性の職員は柔軟な発想の出来る方で、私の事務所へ相続登記の依頼に来られた、お客さんが間違えて土地謄本を取って来たことがありました。交換してもらおうと、その職員に、私が間違って違う土地を取って来たと言ったところ、差し替えて頂いた事がありました。そのためこの様な事がありましたので、この職員の事を少しは知っていましたので、ある日この職員に聞こえるように、隣の印紙販売の年増のおねえさんにこう話しました。「ここの法務局はね、1週間もすると私の事をすっかり忘れてしまうのですよ」と、その後印紙販売のおねえさんと一緒になって「ははは」と笑ってしまいました。勿論、冗談で言ったのであって、全く他意はありませんでした。ところが次の週の金曜日に支局に行ったところ、この方がいましたが、証明書を見せてくれとは全く言わなくなってしまいました。私も何があったのかは知らず、隣の印紙販売の年増のお姉さんとも一言も言わず、こそこそと帰って来ました。驚きました。それ以来一度も見せろとは言われなくなりました。ちょっとふざけた冗談が豊橋支局の受付を180度変えてしまいました。勿論、その後新人の方が受付に入って初対面の時は、さすがに見せて下さいとは言う時はありますが、見せないで通す事になって、ホントにびっくりしました。きっと職員の方も証明書を見る事はあまり意味の無い事だと思っていたのかも知れませんね。こうゆうのを大人の対応とゆうのではないでしょうか。


 2年ぐらい前に豊橋の裁判所へ行って、親子でもめていた話を調停にかけたいと、裁判所で色々聞いた事がありました。男性職員二人と女性の職員一人に対して私がなんとかならないかと、しつこく食い下がって話しをていたところ、女性の職員の方が私を見て、この男は得体の知らないどうゆう人かと思ったのでしょうね、女性の職員が私に言葉のすきを見て聞いてきました。「貴方はどんな関係の方ですか?」とね。私も彼女が私を見て胡散臭い顔をして見ているのが分かっていましたので、すぐ答えてあげました。「私は司法書士です」とね、そしたら女性職員は顔を真っ赤にして、「ごめんなさい」と言って机に座りに行ってしまいました。私の事が全く司法書士には見えなかった様でしたね。いつもノーネクタイですし。毛髪がくせ毛でぼさぼさだし、やはり私に司法書士証明書は必要ですかね。


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14年06月12日 17時53分52秒
Posted by: kawasaki
6月4日に市街化区域内の農地売買の立会いをして、農地法5条の届け出を6日に出し10日に完了しました。勿論、届け出書類は、市役所税務課備え付けの公図で書類を作りました。わざわざ法務局の公図をつける必要がないのでチョウ楽です。行政書士会豊橋支部ですか、法務局の公図をつけろと言っていたのは2年間以上だまされていましたからね、ホントに体が震えるほど怒りがこみ上げてきますよ。旧渥美町の福江から豊橋支局まで約40キロの距離を車で公図だけを取りに行くのですからね、これが無くなっただけでもえらい違いですよ。ホントにひどい話だ。一体誰がこんな事を言い出したのでしょうかね。何も行政書士が自分で自分の首を絞めるなどこんな馬鹿な事はないだろう。農地転用で法務局の公図を使わなければいけない人は、自分で判断して使えばいいのであって、他の先生に押しつけられてはたまったものではないぞ、公図を取るために40キロ離れた豊橋支局まで行く者にとっては、騙されただけでは済まされないぞ。行政書士会は一体どうゆう責任を取るつもりだよ。責任者は出てこい。弟の調査士も法務局の公図を付けるものだと思っていたと言っていたから、私の思い違いなわけは絶対にないはずだ。他にも多くの先生方が私と同じように騙されていると思う。本当に腹立たしい限りだ。同業者を舐めてるのか、一体どうゆうつもりか、釈明しろよ。


 今日もハウスメーカーがらみのいやな事があった。これはもしかすると、ハウスメーカーから仕事を貰っている下請け先生が絡んでいる策謀じゃないのか。ハウスメーカーの下請け先生は、要領がいいからな、私が作った農地転用の書類で地目変更もやり、建物新築登記もやり、みんな持って行きやがる。そこで、私が考えるところでは、農地転用の書類を作られた先生の公図が法務局の公図と多少の違いが有ったために、調査士が作成する、建物配置図が間違って作成されて法務局に提出された。それで法務局から怒られ、その為に公図を法務局の公図にしてほしくて、この公図話を作り上げたのではないのか、これがそのとおりなら、ハウスメーカーに仕事を取られ、さらにそのハウスメーカーの下請け調査士の仕事のために、40キロも走らされ、なおさら面倒な仕事をさせられているのかもしれず、考えたらとんでもなく腹立たしい話だ。誰がこんな話を考え付いたか知らんが、お前たちのために2年間以上馬鹿な事をさせられてホントに腹立たしい限りだ。本当にこの話をFAXで事務所に流した者は、はっきりと責任の所在を示せ。同業者の首を絞めるなんぞはもってのほかだ。この大バカもんが、そこらへんに首でもつってお詫びでもしやがれ、 首でもつりたくなったら、私が足を引っ張ってやるぞ。2年間も騙しやがって、ホントに怒れる話だ。


 日頃からハウスメーカーにやられてばっかりいるから、このような過激な書き方をしました。自殺を助長する気持ちは毛頭ありません。一部は私が裁判の時に相手のアホ弁護士に首でもつれ、足を引っ張ってやるからと裁判の席上で言いましたので、つい思い出して書いてしまいました。勿論その裁判には、これで勝ちました。


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14年06月06日 02時40分50秒
Posted by: kawasaki
 私が司法書士、行政書士の仕事を始めた頃は、現況証明願の書類の作成は昭和26年以前の農地転用には使える書類でした。今の様に20年経過している時にこの現況証明願を使えるようになったのは昭和50年代に入ってからでした。昭和50年代に入るまでは、私は現況証明願を一度も作成したことがありませんでした。仕事を始めてから無断転用も含めて、農地法の4条や5条の書類作成しかやっていません。
 それではここからが、現況証明願書の真実の話に入ります。昭和53年頃ぐらいだったと思います。
 当時、渥美町役場の農業委員会には私の同級生の宮川君がいました。この男はなかなか切れる男でした。頭もいい男でした。私は難しい農地転用の依頼をされていました。農地法第4条です。無断転用でした。その方は隣地の境界でもめていました。つまり隣地承諾書が簡単には貰えない状態でした。その土地には居宅が建っており、建ててから20年以上経過している土地でした。そこで、同級生の彼に相談をしました。「20年も経っていれば時効とゆう言葉もあるし、隣地承諾書無しで転用申請させてくれないか?」と相談しました。彼は私の話を「うん、うん」とうなずきながら真剣に聞いてくれました。相談してから3ヶ月ほど経った頃でした。私が渥美町役場の前を歩いていた時、役場の2階のガラス窓がガラガラと開き、彼が顔を出して言いました。「これからは20年経った土地は現況証明書で申請してくれ」と言われました。私も「よし、わかった」と笑顔で答えました。きっと、彼が私の案をしっかりと上にあげてくれたと思いましたね。そうですよ、この時から20年経過している無断農地転用は現況証明書で出来るようになったのです。これは全国版だと私は思っていますが、みなさんはどう思いますかね。しっかりと取り上げてくれた同級生に感謝です。
 これが現況証明書の真実です



 現況証明書の作成には、その建物が昭和26年以前に建てられているものしか出来なかったのですが、この昭和26年は実はうら憶えです。本当の日付は分かりません。覚えている方はコメントして下さい。昭和26年に農地調整法ができましたが、このブログを書くために調べていた最中にこの農地調整法を見つけました。昭和27年に農地法が出来、同年に農地法が施行されました。現況証明書が出来たのは、本当にはどの時代から始まったのかは全く分かりません。昭和26年は昔聞いた年であり、本当にうら憶えです。



 このブログのために、愛知県の豊橋市にある東三河事務所の農地課へも電話して現況証明書の事を色々聞きました。私もその方の年を聞きましたところ、その方は定年退職者だそうでした。あまり現況証明書については知らないと言っていました。話によると、他の県では20年の期間よりは短いところもあるそうです。愛知県は結構きびしい県だと言っていました。



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14年06月03日 01時47分37秒
Posted by: kawasaki
 渥美町役場が住所の番地の枝番の「の」をやめましたので、昔、豊橋市へ住民票を取得に行きました時に、市役所の職員の方に、この枝番の「の」をやめたらどうかと提案した事がありました。市役所の方はあまり乗り気ではなかったようですね、今でも枝番に「の」が入っていますね。先月に市役所で戸籍を取りましたところ、現在戸籍を見ましたら、平成19年2月10日が改製日となっていまして、既に枝番のある本籍欄には「の」は入っていませんでした。ついでに住民票の住所欄も「の」をはずしておけばいいのにと思いましたけどね。豊橋市の住民課の方は私以外の方からの指摘はないのでしょうかね。名古屋法務局豊橋支局では去年でしたかね、枝番の「の」はこれからはしっかりと入れて記載をすると通達を出したぐらいですから、やはりこの枝番の「の」は支局も気にしていると思いますね。


 枝番とは関係はありませんが、豊橋市の住民票と戸籍の附票の件でお願いがあります。 なんでA4用紙一杯にして枠を組み住所内容を記載しているのですか?集めた相続書類を綴じる事を考えれば、こんなに紙面一杯だと穴あけの時にどこを開けて綴じたらいいか迷ってしまいますよ。綴じる時は本当に困まります。もう少し私たち先生の事を考えて下さい。 住民票や戸籍の附票の出来れば左側を2センチ程、空白部分を設けて下さると嬉しいですね。綴じ易いし、又、申請書に直接添付する時にも便利ですよ。それからパソコンから打ち出されてくる戸籍の事ですが、現在戸籍の謄本はOKなのですが、除籍謄本や、改製原戸籍謄本はなぜ画面をわざわざ小さくして出すんですかね、画面があまりにも小さくて見にくいですよ、住民票と違ってこちらはまた、余白が多すぎますよ、裸眼で頑張っている私のような年寄りには困るんですよね。その点、田原市の古い除籍謄本や、古い改製原戸籍謄本などは、それなりに大きく見やすいまでとはいかないですが、豊橋市よりは熟考して少しでも大きくプリントアウトして出されていますので、まだましだと思います。一度田原市の戸籍を見て考えて下さい。田原市の除籍謄本はそれなりに大きいですよ。

 
 

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