2015年 5月の記事一覧

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15年05月28日 11時28分19秒
Posted by: kawasaki
 昨日の夜も事務所のカーテンの洗濯をしました。厚手のカーテンは、しわにならない様に、朝脱水をかけました。しかしこのカーテンは丈夫ですね。20年経ってもびくともしてないですよ。また洗ってつける事が出来ますからね。ホントにいい仕事をしていますね、サンゲツさんは。昨日は西側窓の一番左の窓の左側のカーテンを洗いました。レースと厚手のカーテン1枚ずつですが、結構時間がかかりました。脱水したのを車に載せて、いつものように朝ごはんを食べに田原シティホテルに行きました。いつもの物がいつものように出ていました。食べ終わって清算を済ませ出口まで来ると、自動ドアの向こう側に普通の背の高いイケメンのアメリカ人がこちら向き立っていました。自動ドアが開くと私に注意も向ける事もなく、携帯のスマホをいじっていましたね。私はその横をゼロ戦でかすめるかのように抜けて行きました。抜ける瞬間に機銃を一発お見舞いしました。
 勿論機銃の音は「グッドモーニング」ですよ。アメリカ人も突然でびっくりしたみたいでした。何かを言ったようでしたが、あまり聞きとれませんでした。私は翼を2回振りながら青空の中へ消えて行きました。歩道でスマホなどいじっていると戦闘機が突っ込んでくるかもしれませんので、皆さんも充分注意をして、歩きに専念して下さい。

         以上戦況に関しての大本営発表でした。


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15年05月24日 13時37分54秒
Posted by: kawasaki
 この頃は毎日事務所のカーテンの洗濯をしています。一ヶ所ずつですが、大きなカーテンですので、時間が掛かります。今日の朝も思い出して朝から丁寧に二度洗いしました。レースのカーテン1枚と厚手のカーテン1枚ですので、結構時間が掛かりました。20年以上も洗ってないので水が真っ黒ですよ。一段落後の9時半頃、いつもの田原シティホテルに朝食バイキングに行きました。この頃日曜日には「ゆみ」ちゃんと言う女子大生がバイトに来ます。しばらく見なかったのですが、この頃またバイトを始めたようです。  彼女は10時になると店に出てきます。最初のバイトの時はマスクを掛けていましたね。マスクを掛けてる女性は目がきれいですよ。私がきれいですねと声を掛けると、いつも彼女は「ありがとう御座います」の返事でした。勿論年が離れていますので、単なるご挨拶代わりでしたけどね。この頃は私を避けているみたいで残念です。挨拶もないですからね。なるべく目が合わないようにしているみたいです。私も年が離れていますので、ストーカーなんてしませんよ。と言いたいです。このまま何にもないまま帰るのもつまらないですので、チャンスを狙いました。そしてそのチャンスが来ました。と言いますか、偶然と言いますか。セルフでカウンターに食後のお盆を返す時、お皿など載ったお盆を、偶然カウンターで後ろ向きに仕事をしていた彼女の腰でもないちょうど良いところの背中にわざとぶつけました。操縦不能で落ちてくるドローンのように結構強くぶつけました。勿論彼女も冗談でぶつかってきたのだと知っています。わたしもぶつけた瞬間「ごめんなさい」と笑いながら言いました。彼女も大きく前のめりしながら、少し後ろを見ながら大笑いしているのが分かりました。女性はこうゆう映画に出てきそうな場面を面白がるものなんですよね。最後に彼女のむちゃくちゃ笑っていた顔が見れて良かったです。


 田原シティホテルはパートのおばさんが多いので、若い女性は珍しいです。パートのおばさんが、「ゆみ」ちゃんと言っていましたので、たぶん「ゆみ」か「ゆみこ」だと思います。今日はマスクをしていませんでした。マスクのない顔は結構目から下が幼い顔をしています。いずれにしろ若い女性は素敵ですね。


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15年05月22日 16時43分15秒
Posted by: kawasaki
 「これ潜って採ったのですか?」と私もびっくりして聞いたところ、「私が潜れるわけがないでしょう」と答えられました。そうですよね、失礼ながら腰が少し曲がっているくらいですからね。こんな大きいのは太平洋岸でなければ育ちません。時々亜鉛の補給のために私が採る岩牡蠣は三河湾の波も穏やかな内海で採る小さなやつです。しかしこんな大きな岩牡蠣を頂けるのはうれしいですね。少し大袈裟ですが、司法書士冥利につきます。「結構波が強かった」と言っておられました。小柄な体でそれも女性ですよ、結構強い波を体に受けながら命がけで採られたようでした。とりあえず事務所の前で牡蠣の割り方を教えて頂きました。茹でると余計に硬くなって閉じこもるそうです。だからかなずちで端を割ってナイフで貝柱を切って取り出した方が良いとのことでした。大きいですよ一番大きいのは手のひらぐらいありますよ。私が採るやつはせいぜい薬指ぐらいですからね。ぜんぜん違います。私も山菜採りに関しては誰にも負けませんが、このおばあちゃんには完全に負けました。事務所の玄関で、でかいのを生で二つ頂きました。たいへんおいしゅうございました。全部で15個ぐらい頂きました。帰りにいつもぶっちゃけ寺でお世話になっているお父さんにも4個ほどバケツから出して渡しました。食べ方は知っているそうです。このお父さんにも亜鉛の補給をしてもらい、ぶっちゃけ寺の住職として長生きしてもらいたいですからね。  本当においしいものをありがとうございました。  合掌

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15年05月21日 11時11分09秒
Posted by: kawasaki
 最初、この娘さんがどのような素性か全く分かりませんでした。たぶん本人も愛知県に来るなんて思っても見なかったと思います。流れ流れて愛知県まで来てしまったのでしょうね。気がついたら愛知県にいた。そして気がついたらいつの間にかシェアハウス状態になって住人のひとりに納まってしまっていたのが、本当のようだと思います。そして気がついたら私たちが骨董話をしているそばでニコニコして話しを聞いていたのでした。ところが一緒に暮らしていたシェアハウスの男が病気になってしまいました。その男にも色々な事情があり、一緒に住むのはまずい事もあり、シェアハウスから娘さんだけは出なければならなくなりました。そこで周りの者たちがこれ幸いにと、名乗りを上げて応援しだしたのです。私はただの通りすがりの男でして、あまり興味もまったくありませんでしたが、いつの間にかボランティアの中に入ってしまいました。実を言いますと、この娘さんは住所不定でございまして、私が市役所で住所を作らなければならなくなった次第です。早速住民課ヘ行き、何が必要かと尋ねました。住民課の話では、戸籍が2通と戸籍附票が1通必要だとのことでした。偶然でしたが、私がいたおかげで仕事がはかどりましたね。住民課の女性に「川崎さんがいて良かったねと言われたよ」と取り巻きの人が私に言いました。結局ボランティアで戸籍を取り寄せる羽目になりました。
 戸籍を取り寄せたところ、なんとまあーこの娘さんは両親に殺されていました。ひどい話ですね。両親が生きていながらの失踪宣告ですか、相続も発生していないのに、殺すんですかね驚きました。娘さんも「私だけど」と言って実家に電話しました。私もそばで聞いていましたが、母親が出まして、「そんな人知らんわ」と言われてガチャンだそうです。もう無茶苦茶ですわ。やれやれ今度は失踪宣告の取り消し仕事のボランティアかよと思いました。実家近くの家庭裁判所から当時の審判確定証明書を取り寄せました。それをつけて豊橋家庭裁判所に写真4枚もつけ、失踪宣告取り消しの申請をしました。現在ここまで終わりました。今後はまた振り出しに戻って戸籍2通と戸籍の附票1通の取りなおしが必要ですかね?。 今度はこちらに戸籍をもってきておきたいと思います。また殺されたら困りますからね。

 娘さんと言ってもそんなには若くはありません。


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15年05月13日 14時12分21秒
Posted by: kawasaki
 昔から取り寄せた公図が幅にして10センチほど溜まりました。今では大字に分けて封筒に入っています。封筒に場所の小字が書かれていますので、すぐに確認が出来ます。勿論小字全部が載ってはいませんので、その公図に目的の土地の地番が無ければ、新しく取ります。この公図は昔と違って、今では農地法第3条の許可申請書には必ずつけなければなりませんので、必要な公図があった場合はラッキーと思わず思いますね。昔から物をため込む性格ですので、知らない間に溜まってしまいました。一時は市役所で取り寄せた公図をそのまま使ってしまうことがありましたが、たまに同じ小字の近くの地番の移転を頼まれる時もあり、あの公図が使えたのになあとじだんだ踏んで悔しがったこともありました。そんなこともあり、いつしか徐々に溜めるようになりました。でもこれだけ溜めればもう方針は決まりました。それからはもう溜めて溜めてぶれることはありませんでしたね。中には公図だけ取って欲しいと来る方もいますので、場所を聞いてそれならあるよと言ってコピーをして出したこともあります。すぐに間に合うとゆうことはやはり便利ですよ。インターネットでも取れますけどね。ネットは450円。市役所は200円。私のストック分はタダですからね、たいしたものですよ。こんな公図を溜める先生なんて、日本全国誰もいないと思いますね。やはりもって生まれたコレクターの血がここでもいかんなく発揮されているのだと思います。そして、これからもどんどん溜めて最後はごみ屋敷になるかも知れません。


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15年05月07日 11時41分57秒
Posted by: kawasaki
 この話はこの前のブログNo.259に書かれた農地法第3条許可書を取って農地を買われた方の話です。この二人の方の一人が所有農地に無断転用の農地があり、農地を取得するのには無断転用所有農地を解消する必要があることが分かりました。その土地は自宅敷地から道路一本隔てた土地です。そこは昔から鶏卵用の鶏が飼われていたそうで、鶏舎が建っていたそうです。その後昭和55年頃1526㎡を962㎡と564㎡とに分筆をして、作業所を建てるために鶏舎の建てられていたところだけ564㎡を現況証明書にて宅地にしました。この宅地にされた後に建てられた作業所の建物の面積は300㎡とでかかったです。ところが今回の無断転用の農地にこの作業所の建物が少しはみ出ているのです。こんなことならわざわざ分筆する必要はなかったと思います。最初から1526㎡全部を宅地にして欲しかったですね。残りの962㎡は面積も多くここを現況証明書にて全部転用するのは苦労するなと思いました。しかし公図を見ると残地962㎡は公図の中の土地の大きさから推測すると面積が大きいなと思いました。長年培った男の勘とでも申しましょうか、この分筆した測量図を450円で取りまして残地を計算しました。やはりといいますか、残地面積は810㎡ほどでした。最初から分筆もせずに1526㎡全部を現況証明書にてやればやれたと思います。私のところなら現況証明書代と地目変更代だけで終りますよ。とりあえず今回申請地の第1回目の現況証明書を作成しました。建物は100㎡の物置兼車庫と物干し場、フレームの物置、それとはみ出ているでかい作業所を書き入れて、全体が一括として宅地として使用されているとして申請しました。写真の枚数も30枚近くなりました。これくらい枚数をつけることにより、通してもらいたいとの思いを間接的に感じてもらう為です。しかし農業委員会の職員はすぐ見てダメだと言いました。案の定と言えば案の定ですが、ここから私の粘りが始まりました。この書類はヒフティ、ヒフティだと言ったりしました。前の職員のSさんなら通すと思うよと言ったりしました。1時間程は話をしました。私もよく粘りました。彼もはみ出ている作業所の話をしだしましたので、ヒントを頂きました。詳しくは言えませんが、これでやれると思いました。書類には2年前に申請地の隣地が現況証明書で宅地になっていましたので、この土地に建っている農業用倉庫も含めて一体として利用していると書き直して書類を提出しました。
 しかし、簡単には通りませんでした。今度は写真が多いとの事でした。最後は写真30枚から7枚ぐらいになりました。家庭菜園をはずして、重要な処を撮ればいいと言われました。結局書類は4回ぐらい配置図などを書きなおしました。2年前に隣地を現況証明書にて宅地にした先生は今回の土地が無断転用地だと知っていましたが、難しく感じたのでやらなかったと思います。依頼人の農家の方は隣地の転用の時、その先生にこの土地が無断転用地だと聞かされていたそうで、今回私が無断転用解消をやらなくてはいけないことを知っていました。昭和55年に最初から私に依頼されていれば隣地の農地も含めて全部で1件の現況証明書で終っています。分筆やら隣地の現況証明書やらで、他の先生は簡単な書類作成でぼろ儲けですよ。私が一番難しい仕事が回ってきた格好になり、苦労しました、今回こそホントは分筆をしたいぐらいですよ。ここは農業施設用宅地ですので、固定資産税の評価額も低いです。全部宅地にしても固定資産税はたいして変わりません。ちなみに、今回の申請地962㎡は現況宅地330mと現況畑632㎡とに別れて分割課税されていました。いかに難しい仕事だったことが分かると思います。
 

 地目変更登記完了後依頼人の方に、ここに居宅も建てれるのかと後から聞かれました。私も「勿論です。これからは分家住宅でも、離れでも倉庫でも何でも建てれますよ」と返事をしました。内心はうれしかったと思います。

 分筆1件、現況証明書3件(私のが1件含む)、、地目変更登記3件(私のが1件含む)、田原の先生方は簡単な発想の書類申請で、ぼろ儲けです。私なら全部まとめて1件で終らせてます。あーあもったいない。
 

 
  それからもうひとつ、この方の農家台帳に雑種地と記載があるところがありましたので、グーグルアースで調べたところ、どうもはっきりしませんでした。勿論公図を取り現場へ行きましたところ、隣地の方のコンクリート駐車場になっていました。ここを税務課は間違えて申請人の温室の一部を駐車場として課税評価していました。税務課へ行きまして、課税しないように言っておきました。しっかり調べて欲しいですよ。これだけのことで1回は現場へ行きましたからね。

  税務課も結構いい加減ですよ。別事件の現況証明書作成のため4月30日にも税務課のミスを指摘しました。物置が建っているのに雑種地になっていました。その建物は自宅に建っている事になっており、昭和46年の航空写真を図案化したものを見せながら、場所違いだと指摘しました。その物置は昭和45年建築ですよ。固定資産税大損でした。自宅敷地が136㎡の小さい宅地でしたが、物置と居宅の合計面積が宅地面積より大きくなっていました。おかしいと気がつかなかったのかね。私も結構間違いを指摘しています。しかし田原市の税務課は私を自由にさせて頂いていますので、ありがたいです。名古屋市はダメですよ。司法書士に自由にさせておかないとミスの発見が遅れたりします。昔渥美町役場時代の税務課にある和地町民全部の方の個人所有名寄帳の所有地の地目が保安林となっているところは全部抜け落ちていました。相続の時全部落としていましたからね。ひどいもんですよ。私もあとから見つけましたが、後の祭りでした。たぶん、税務課の職員の方が大昔に固定資産税が取れないと思い、名寄帳からはずしたのだと思いました。アホなことをしたものです。保安林に下水管を通す時に相続登記がしてないので、所有権移転が大変だったと思います。
 税務課の職員は相続登記の落ちに注意してほしいです。大変なことになりますよ。司法書士はあなたたちの味方です。これからも私のような素晴らしい先生を大事にしてくださいね。お願いします。 目覚めよ渥美の愚町民よ。



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