かつての民放ニュース番組の雄、ニュースステーション。

キャスターは久米宏氏が、サブキャスターは小宮悦子氏が長らく務めていた。

久米氏の軽妙なトークは他社の追随を許さず、私が欠かすことなく見ていた番組の一つであった。

その番組内のコーナーに、「最後の晩餐」というものがあった。

各界の第一人者をゲストに迎え、来歴などを紐解きながら、久米氏は最後の質問で決まってこう問う。

「もしも、次が最後の食事なら、何を召し上がりたいですか」

ゲストはその質問に淀みなく、あるいは悩んだ末にその食事への思いと共に回答する。

それは、ゲストの人生哲学なども如実に滲み出たものであり、毎回興味深く視聴していたことを覚えている。

視聴当時は私も20代前半で家庭も持っておらず、自らに迫るリアリティはなかった。

単に「自身の好物」を心にあれこれと思い浮かべ、ゲストのそれと比較するのが関の山であった。



ある日の夕食で、私のたっての希望で二つを妻に作ってもらった。

lastsupper.jpg

筍ご飯とけんちん汁である。

この日本らしい素朴な里の味覚が、私の心を捉えて離さない。

そして、家庭を持ったという心境の変化もあったのだろうか、不意に思った。

「人生最後の食事を摂るとしたら、これを食べたい」

素直に口に出してしまったので、妻は相当虚を突かれたようだった。

縁起でもないわね、と。

確かに普段、好物として妻に作ってもらうものとは少々趣を異にする。

ガツガツと貪るように食べる私が、この食事だけは噛みしめて食べている。

まるで、清貧を旨とする修道士のように。

これこそが、私の中に流れる日本人としての魂なのかもしれない。

手の込んだものでもなく、ハレの日の料理でもない。

去りゆく者には豪奢な食事などは必要ないのだ。

根っから欲求に乏しい人間だから、これでも贅沢だと感じてしまうくらいだ。

日本人として生まれ、生き、やはり日本人として死んでいくのだから、ある意味当然か。



人生もほぼ折り返し地点となり、後半生を考えることも多くなった。

生き方を考えることと死に方を考えることは、ほぼ同義であると思う。

「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」

江戸時代中期の書、葉隠の一節である。

エピローグへの助走は、既に始まっている。

私が先に逝くか、妻が先かは神のみぞ知る領域だが、その日まで懸命に生きていくだけだ。







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