折からの雪害の影響は至る所で続いていますね。

最寄りのコンビニエンスストアでも、パンコーナーは空っぽ。

お弁当やおにぎりも品薄のためか、代わりにインスタントラーメンが棚を埋めている状態でした。

商品が配送されない状態では致し方ないこと。

普段は利便さの恩恵に与っているわけですから、こうした時こそ皆が少しずつ我慢をしなければなりません。

「当たり前」に生活を送れていることは決して当たり前のことではなく、歯車が一つでも狂えばそれが崩れてしまう。

松本地震の際にも感じたことですが、分業化が高度に発達した現代においては影響が大きくなるものです。

日常生活が不便になったと言って不平を漏らしてもどうにもならないこと。

私たちよりも過酷な状況に置かれている人達に思いを馳せ、時には利便さから離れることも必要なのかもしれません。

普段がどれほど恵まれた生活を送っているか実感できる機会でもあります。



さて、「不平を漏らす」ことについて若干思うところを綴ってみたいと思います。

かつての知人に、様々な事柄に愚痴と批判を尽くす方がいました。

(「彼」は現在もこのブログを閲覧している可能性もあると考え、私からのメッセージとしても書かせていただきます)

彼の口にする内容は、職場の待遇、人間関係、自身の選択、そして社会制度など、多岐にわたっていました。

私も話題として合う部分にはお付き合いしましたし、相談にも乗らせていただきました。

お話しをしている時はそれなりの結論に至るわけですが、すぐに元の状態に戻ってしまうという傾向にある方。

立ち止まって考えることは人生において必要なこと。

それに要する時間は人それぞれであり、他人と対話した上で自身で考えることが成長の糧となり得ます。

誰しもが一度は経験したことがあるでしょう。

他人からの一言が自身の考えを変えるきっかけとなったことが。

周囲が自身の思うようにならないことを嘆くことよりも、自身の考えを改めることで異なる景色が見えることもあります。

私は、というより私たち夫婦は、彼にそうした観点からのお話をしてきたつもりでした。

彼の生き方のヒントになることを祈って。



彼を変えようというおこがましい考えは持ち合わせていませんでした。

ただ同情するのみでは彼にとって何らプラスにならないとも考えていました。

落ち込んでしまった彼が自分を取り戻せるようになることを第一に、言葉を選びながら接してきたつもりです。

彼が私たち夫婦以上に信頼している人に同じく相談を持ちかけていることなど露知らず。

想像するに、彼は自分が期待する答えを返してくれる人間を求めていただけのこと。

その期待に応えられなかったために、他の方に相談して自分を納得させたかったのだろうと思います。

彼の「漂う」ような性格が浮き彫りになった時、積極的に関わることを避けるようにしました。

これが問題の渦中に半ば当事者として巻き込まれないようにするための自衛の策です。



最後にお話しを伺ってから数ヶ月が経った頃、彼から連絡が来ました。

迷惑をかけたことを詫びる内容でした。

連絡を受けた私がまず持った感想は、「なぜ今?」「数ヶ月も悩んでいたのか?」ということ。

少々意地悪な見方をすれば、「音沙汰がないからそろそろ構ってほしい時期なのか」、と。

あいにく年末の仕事に追われ、対応する余裕もない時期でした。

私を見かね、妻が「今は大変な時期なので」と彼に返事を送ってくれたのですが・・・。

どうしても納得できなかったのか、再度私にメッセージを送ってくる・・・。

他人の置かれている状況を推し量る余裕が彼にはなかったのでしょうか。

私も我慢ならず、それまでに感じていた彼の問題点を含め、メッセージを返しました。

あくまでも大人の対応で。



それに対する彼の反応は、被害者としてのものでした。

曰く、指摘されて傷付いた、と。

いや、待っていただきたい。

そもそもなぜこちらを困惑させる内容で、あり得ない時期に連絡を寄越したのですか。

そして私の状況も省みないで色々と主張されても対応できません。

私にも事情というものがあります。

責任転嫁のようなことは勘弁していただきたい。

私たちが時間を割いて彼に対応していた時間は何だったのか。

1時間や2時間の話ではありませんでした。

そうした過去は、彼にとっては何の意味も持たない時間だったということだったのです。

そう。

彼は自らの足で歩くには、意志の継続性に問題があったのです。

ありのままの剥き出しの自分を受け止めて向き合うという、「地に足を付ける」ことができていませんでした。

でなければ何度も同じ地点に舞い戻り、悩むことはないでしょうから。



助言は彼に届かず、最終的には非難されるかのような展開。

残念なことこの上ありません。

しかし、私たち以上に信頼できる方がいるのならばその関係を大事にして生きていってほしい。

私たちはそう考え、それ以上は何も言わずに彼の前から去ることにしたのでした。

自ずと悟る時は訪れるであろう、と。

忘れかけていた頃、事態はさらに展開しました。

私たちよりも付き合いの長いH氏との間に何事か問題が起きたようです。

恐らく私たちと同じく、彼のことを考えてH氏が指摘したことが原因だったのでしょう。

彼と酒を酌み交わすこともあったというH氏。

そこまで深い関係だった彼らの間に起こったことに深入りするつもりはありません。

H氏にも一抹の無念さはあったと思います。

積み重ねた月日を水泡に帰せしめられた無力感は想像に難くありません。

思うに、彼は自身を正当化するために批判の矛先を他人と社会とに向けています。

ただ、実体験の伴わない批判は焦点が合わなくなりがちであり、説得力も生じません。

その点に気付かないことには、人生において最も大切な人間関係を自ら失ってしまうことになりかねないでしょう。



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(ブログ「ひとりごと・・・」(http://plaza.rakuten.co.jp/km378kine/)より転載の画像です)

自信は時に過信をもたらし、他者の批判は自身の生き方と常に比較をされます。

自信が全くなくては人生という名の航海を無事に終えることはできません。

他者の批判なくして自身の生き方を冷静に省みることも難しいのだと思います。

要は両者の適切な均衡が、人間社会を生き抜いていくために必要なのではないでしょうか。

『心が変われば態度が変わる。

態度が変われば行動が変わる。

行動が変われば習慣が変わる。

習慣が変われば人格が変わる。

人格が変われば運命が変わる。

運命が変われば人生が変わる。』

= 野村克也・著「野村ノート」(小学館)より引用 =

自身を変革することが周囲の変革、社会の変革へと繋がる原動力となると私は信じています。

不平を漏らすことよりも、先になすべきことがある。

誰に迷惑をかけることなくできること。

その点に気付く人が多くなれば、この世の中はもっと良いものとなるはずです。

自分は生きているのではなく、生かされている。

時折、生かされていることに対する感謝をし、自分が生かされている意味とを考えます。

後者の結論はいつ出ることになるかは分かりませんが、自分の積み重ねの中でいつかは見付けることができるでしょう。

そして、笑顔で人生の終焉の瞬間を迎えられれば、と思います。







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