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市内美須々にある長野縣護國神社では13日から16日までの4日間、「みたま祭」が斎行される。

明治以降の緒戦、とりわけ大東亜戦争に散っていった長野県出身の英霊の御霊を祀る同社。

信濃國総守護であり、夕闇に灯る慰霊の提灯はその厳粛さを強いものにする。

私たち子孫のためにその身を擲ち現在の平和の礎となった彼らに対しては、畏敬と感謝の念しかない。



列島が鎮魂の空気に包まれるこの時期になると、きまって隣国からの耳障りな発言がもたらされる。

内閣総理大臣の靖国神社参拝に対する批判である。

その批判に屈する形で、歴代総理の大半は参拝を控えてきた。

また、時期を外して参拝を行うにしても、その「肩書き」について是非が巻き起こってきた。

そもそも、参拝を控える必然性がどこに存在しようか?

そもそも、私人か公人かの肩書に意味があろうか?

なぜ、隣国におもねるような報道がなされるのであろうか?

そして、私たちがそれらに対しての感覚が麻痺してしまっているのはなぜでであろうか?



他国がいかなる批判を繰り出そうとも、参拝の自由はこれにより何ら制限されるものであってはならない。

国会議員をはじめとする日本国民は全て、その信ずるところに従って参拝することができる。

思うに、隣国は死者に対する我が国の思想文化を全くもって顧みることはないし、その器も持ち合わせていない。

あるのは我が国に対して批判をすることにより、相対的な優位性を確保し続けようという思惑のみである。

その根底には、戦後70年弱を経てもなお自らが被害者であることに対する意識のみがある。

一体いつの世まで怨みを抱き続けるつもりであろうか。

我が国がどれほどの姿勢を示せば彼らは虚栄的な満足を得られるのであろうか。

不毛なやり取りを、英霊たちはどのような気持ちで天上から眺めておられるであろうか。



国会議員はじめ国民は、堂々と靖国神社へ参拝すれば良い。

批判をする自由はあるが、それが我が国国民に影響を及ぼすものであってはならない。

内政干渉というよりも、重大な思想信条に対する侵害である。

その上で、私たちは私たちの祖先に対する考え方を示せばよいのだ。

我が国では、没したものはすべからく仏になる。

生前に善行を積み重ねた徳深い者であるか、咎を犯した者であるかを問わない。

仏となった後は、我々子孫の幸福を見守る霊となって存在し続ける。

こうした思想が彼らの理解できるところであるかはともかくとして、我々が後世に伝えていくべき崇高な思想であると思う。

かかる精神文化は他国の批判や干渉には与しない性質のものである。

それは靖国神社に合祀されたA級戦犯とされる英霊であっても変わるところはない。

戦犯という肩書きはあくまでこの世での不名誉な勲章にすぎず、この世を去り仏となった彼らはこうした軛(くびき)から解放されるべきであるからだ。

隣国に同調し、我が国の伝統文化を破壊せしめんと活動する諸団体は、少なからず存在する。

それらの影響を排除していくには、私たちが子孫に正しい歴史教育を施し、文化を継承していくより他なかろう。

戦犯とされた方々は方向性に誤りがあったとはいえ、我々子孫のために命を落としていった事実に違いはない。

他国の文化を尊重し、共存共栄を図るという近代国際社会の不文律を侵す愚行を、諸外国は冷ややかな目で見ているはずである。

内閣総理大臣は堂々と胸を張って靖国神社に参拝すれば良いし、一国民として私はそれを望んでいる。

私たちが誇れる精神文化であり、それに勇気付けられる国民は多い。

他国の干渉など、何ら意味を持たないことだ。

何より祖先に対する非礼を重ねることはこれ以上許されないだろう。

私も機会があれば、終戦の日に祈りを捧げるために靖国神社へと足を運びたいと思っている。

我が国の善良で崇高な精神が、永年にわたって継承され続けるように、と。









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