ようやく、準備書面の起案が完了した。

連日の執務時間終了後、自由時間を割いて明け方まで時間を使った集大成ともいうべきものだ。

書証を取り集め、それを基に理論を組み立てていく。

普段から取り扱いの多い不当利得返還請求訴訟とは勝手が違ったので、二週間を調査に費やし、四日間で集中的に書面を仕上げた。

準備書面自体は11頁、証拠として提出する甲号証はナンバリングすると26にも及んだ。

必要部数の複写をしていると、その多さから自分が印刷会社にでもなったのではという錯覚にすら陥る。

それでも期日までに間に合い、一人安堵の溜息をつく。



事案を検討している間に浮かんだのは、当事者間に存在するのは、価値観というか、イデオロギーの対立であるということ。

イデオロギーについてフリー百科事典をひも解くと、下記のような解説が見付かる。

(1)世界観のような、物事に対する包括的な観念。

(2)日常生活における哲学的根拠。

(3)主に社会科学の用法として社会に支配的な集団によって提示される観念。

Plato.png

元来は、プラトンに始まる哲学の根本用語「イデア」から生まれた言葉であると考えられる。

個別紛争を俯瞰すると、当事者間にかかる哲学的な観念の相違に端を発しているとの印象を受けることがある。

普遍的な良識を守っているのが一方か、若しくは双方か。

如何により、訴訟代理人として取るべき態度は自ずと変わってくると思う。

そして、何よりも大事なことは、当事者間のイデオロギーに巻き込まれることなく、自らを保持することである。

無論、当事者も大人としての品位を保持していることが望ましい。

「相手と同じ土俵に立ったら負け」、と言うことがある。

子ども同士の喧嘩でも、「馬鹿って言った方が馬鹿なんだよ」、などとたしなめる大人がいる。

両者は真理を突いていると感じる。

相手方がいかに挑発的な態度に出たとしても、それに乗って頭に血を上らせては足元を掬われることに繋がりかねない。

代理人としては、そうならぬよう依頼者をリードするのも一つの役割なのだろう。



私自身、まだまだ若輩者であり、人生経験の不足を痛感することが多い。

年が若いという事実だけで、下に見られることも経験してきた。

自分の物差しで見て、頭から小馬鹿にしたような態度をとる人間。

「先生」とは言いつつも、その実、自らのいいように使役しようとする人間。

いかなる種類の人間に邂逅しようとも、超然と己を崩さずに対応できるようにならねばと思う。

そして、本質を見失わないようにすることだ。

訴訟に例を求めるならば、見るべきは相手方ではなく、裁判所である。

相手方を説得乃至屈服させるのが訴訟の目的ではなく、裁判官を論理的に説得させること。

そこに、感情は、要らない。

当然のことながら、国内法、過去の裁判例及び世間の良識に照らして判断されるべきであるから、イデオロギーも直接の影響を持たない。

主観的に存在する一切をかなぐり捨て、淡々と臨んでいくに限る。

主観を捨て切れない依頼者にしてみれば「事務的」に映るかもしれないが、やむを得ないことである。

その齟齬を解消するのが説明責任であると考えている。

まずは、自戒を込めてこの部分を努力しなければならない。

でなければ、請求が実現しても依頼者に「しこり」が残ってしまうからだ。







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